チーム守中コラム〜はちみつ
ふっと、今日は何の日かなぁ〜と、語呂合わせ思考したところ、すぐに、「8(はち)、3(さん?み?みっつ?)=はちみつ!」と行き着き、調べたところ、やはり今日は「はちみつの日」でした。
あの甘いはちみつ、蜂が甘い花の密を集めただけと思いがちですが、花の密が蜂のだ液によって分解され、より糖分が倍近くの濃度になったものです。 蜂と人間との関係は、とても古くからあるようです。それにしても、本当に人間は、あらゆる食材を追求し続けてきた動物なんだなぁと、感心してしまいます。いにしえの「チャレンジャー」たちが開拓してきた、様々な食材、その中でも甘くて栄養価の高いはちみつ、今日の帰りに買ってみようかなぁと思いました。 8月3日の朝
晴天の朝です。熱中症警戒アラートは茨城県に出ていないものの、暑さが心配される二中となりそうです。こまめな休憩、水分補給が大切となります。
チーム守中コラム〜街
窓の外に目をやると、ちょうどTXが東京方面から来る姿が見えました。東京から来たんだなぁ〜と思っていると、ふっと浅草が頭の中に浮かびました。浅草は、小さい頃によく両親に連れて行ってもらった、私にとっては「特別な街」です。「特別な街」・・・そんなことを考えていると、私には、「特別な街」が幾つあるのだろうと、哲学思考になってしまいました。
特別な街、というより、自分にとって身近な街は、生まれて2歳まで住んでいた東京の砂町、小さい頃よく遊びに行った浅草、転居し今でも実家のある柏、大学時代を過ごした水戸、就職して関東を離れた静岡県富士宮、そして、非常勤講師として教職をスタートして藤代、新規採用で赴任した守谷・・・と、時系列で並べてみると、結構こんな私にも歴史があるのだなぁと、感慨深くなりました。そんな中でも、「守谷」は一段と特別な街です。 そんな街を、ちょっとした時間をつくって赴いてみるのも、人生の楽しみなのかもしれないと、哲学思考を閉じました。 8月2日の朝八坂神社祭礼巡視活動明日から夏休み お世話になりました
本日で、授業も一旦終わり、夏休みとなります。保護者の皆様、地域の皆様には、生徒の学校生活において多大なる御支援・御協力をいただきまして、誠にありがとうございました。皆様のおかげで、本校は落ち着いた学校生活を送ることができました。また、保護者の皆様には、三者面談・授業公開日で大変お世話になりました。お忙しいところお時間を取っていただき、誠にありがとうございました。面談等でいただいたお話を、生徒のために生かしていきたいと思います。
本日、生徒には、穏やかな生活を送り、それぞれの学年が、それぞれの役割を存分に発揮し、学校生活を充実したものにしたことへの感謝と称賛の言葉を贈りました。この夏、生徒の皆さんには、さまざまな経験通して、大きく成長していってほしいと思います。 チーム守中の生徒は、夏休み明けも元気に充実した学校生活を送ると信じています。保護者の皆様、地域の皆様には、変わらずの御支援・御協力をいただきますよう、よろしくお願いいたします。 守谷中学校長 越智 壽雄 木曜日、夏休み前最後の授業日の朝
青空がのぞき、一昨日の雨予報から少し好転している朝です。蒸し暑さは変わらず。熱中症には十分注意が必要です。
水曜日の朝
暑さが少し和らいだ朝です。明日に掛けてお天気が崩れるとか。梅雨の終わりです。明後日からは、梅雨明けで暑さとの戦いになりそうです。
チーム守中コラム〜季節
まだ梅雨明けしていないとはいえ、まさに今は夏本番。暑い夏がやってきました。季節を感じるたびに、私はいつも、「季節は季節らしく・・・」というキーワードを頭に思い描いてしまいます。先日、この言葉を思いだし、深い哲学思考、というよりは、懐かしい回想思考に入りました。
「季節は季節らしく・・・」というのは、「夏は暑く、冬は寒く」という意味です。さすがに夏は、人に危険が及ぶ暑さでは困るので、冷夏というものではない、夏らしい夏という意味です。よく言われることですが、季節が季節らしくなると、経済が上向きになるとのことです。私は、これを実家の商売で実感していました。 父は洋品店から心機一転、私が中学3年生の時に豆腐店経営に転職しました。運良く、構えた店の場所の水がよかったのか、美味しい豆腐を作ることができ、たくさんのお客様に来ていただきました。その豆腐店の手伝いをしていると、夏の時期は、暑い日には「冷や奴」需要が高まり、冬の時期は、木枯らし吹く凍てつく日には「湯豆腐」需要が高まって、豆腐が飛ぶように売れました。「こんなにも売れ行きに差があるんだ・・・」と、当時は驚いていました。口数の少ない父が、完売した舟(豆腐を入れる大きな容器)を見て微笑んでいる姿を、子どもとして嬉しい気持ちで見ていました。父は、自分で作った豆腐を、ただただ人様に食べていただきたい、美味しいと言っていただきたいという、商売人と言うよりは、職人でした。 この夏も、ほどよい、夏らしい暑さで、経済が回っていけばいいなぁと哲学思考を閉じました。 チーム守中コラム〜批判、誹謗中傷
「批判」については、昨年度もコラムに掲載しました。最近のニュースで、「SNSでの誹謗中傷」という文言が多く聞かれるようになり、それについて哲学思考を深めることがありました。それを経て、昨年度のコラムを加筆修正してみました。
現在の情報化社会においては、人を「批判」することが非常に多く、批判の言葉などをSNSでよく目にすることがあります。「批判」の意味は、「検討を加えて、判定・評価すること。また、 人の言動や行為などの間違いや欠点を指摘し、正すべきであるとして論じること。」です。私見ですが、最近の批判は、検討を加えたり、正すべき意見もなく、ただただ人に文句を言っているものが多いように思います。いわゆる誹謗中傷です。さらに、その動きに拍車を掛けているのが、SNSの匿名性とのことでした。「匿名」が故に、自分への反論や責任が来ないと踏んだ方々の、シャープな言葉が人々を傷付けています。本当に切ない話だと私は思います。対極にある、人を助けた人が、名前を尋ねられた際に、「名乗るほどの者ではないので」と去って行く話が、脳裏によぎります。 コロナ禍となった時に、元日本ハムの投手として活躍し、アメリカ大リーグでの経験を経て、プロ野球解説者や日本代表チームコーチを歴任した、現日本ハムコーチの建山義紀さんが、メッセージ動画を配信しました。内容は、「私たちは、私たちの身近にいる『命を支える人』、『生活を支える人』、『社会を支える人』に対し、感謝の気持ちを抱いた瞬間があるのではないだろうか。心から感謝したい。そして、これまで通りの日常生活を送れず、ストレスの多い今、商品が買えなかったりすることで、店員ににクレームをつける人もいる。このような心ない行動は許せない。」と、建山さんは強く訴えていました。 「私は希望の商品がなかったり、会計を待たされたりなどの状況で、店員さんに強く怒りをぶつける人を絶対に許しはしません」、「こんな状況だからこそ、お互い人を思いやる気持ちをもち、みんなで力を合わせて苦境を乗り越えていきたいと思います。」建山さんは、「感謝」の気持ちを大切にと強く訴えています。よく、ベストが見付からない時は、ベターを模索しよう、という言葉がありますが、コロナ禍では、何がよくて何が悪いかも分からない不安がうごめいています。「批判」のエネルギーを「感謝」のエネルギーに転換できる、しなやかで柔らかくてかっこいい心をもちたいものです。 この内容を見直した際、コロナ禍が明けた今、私たちは、真の意味で不安や心配から脱し、きちんと新たな方向に向かっているのだろうかということを考えてしまいました。あの、閉塞感や人との距離感を感じていたコロナ禍から、明るい未来を築いていくためには、人への批判や誹謗中傷よりも、助け合い、励まし合い、共に笑い合っていこうという、柔らかで優しい心を皆がもつことが大切だと声を大にして言いたいです。 ちなみに私は、建山さんの大ファンで、現役時代のダイナミックなサイドスローから剛球を繰り出す姿をいつも応援していました。解説者としても好きで、落ち着いた優しさをもった理論的な解説は、とても素晴らしいものです。コーチとなった今も、チームを優しく支えていると思います。余談ですが、最近負けることが多い日本ハムファイターズですが、ビッグボスこと新庄監督への誹謗中傷が、昨年と比べてめっきり無くなったことに安堵しています。 チーム守中コラム〜ダイバーシティ
ダイバーシティ(多様性)という言葉が叫ばれるようになって久しいですが、まだまだこの人間社会では、多様性を認め合うということには、様々な「見えない壁」が幾つもあるように感じます。
私が昔、ダイバーシティという言葉を聞いた時に、ふっと思い浮かんだのは、ハリウッドのSF映画でした。幾つかの映画で、姿形の異なる様々な宇宙人が、協力し合ったり、楽しくくつろいだりしているシーンが思い浮かびました。昔、それらのシーンを見た際に、全く違う星の人たち同士なのに、自然に交流している姿に感動したのを覚えています。 この地球で生まれ育った我々人間の間では、人種、性別、容姿等への、様々な偏見や非寛容性、「こうあるべきだ、〜らしく」といった狭い考えが人を苦しめていることが多いと思います。「認め合い、そして笑い合える社会」に向かって、全世界の人が手を取り合って進んで行くべきだと願っています。 木曜日の朝
木曜日の朝、昨日までの猛暑と比べると、少し落ち着いたかなと感じる朝です。梅雨の終盤は、天気の急変が多く見られます。昨日の雷も同様です。十分に注意していきたいものです。
火曜日の朝
火曜日の朝、暑い朝です。本日も熱中症警戒アラートが出されました。熱中症に十分注意が必要です。
チーム守中コラム〜渾身
前回のコラムで触れた、オリンピック・パラリンピック。2年前の東京オリンピック・パラリンピックの観戦で、一番力が入ってしまったのが、パラリンピックのゴールボール男子準々決勝でした。取手市出身である、日本代表選手の山口凌河さんは、私の藤代中勤務時代の教え子の弟さんです。数年前、取手の小学校での公開授業のゲストティチャーで彼が講演したのを参観した時、私に「兄や学校の先生から、先生のことを聞いていました!」と私に笑顔で話をしてくださいました。彼は中学校の時、レーベル遺伝性視神経症を発症し、視力を著しく失ってしまいました。しかしながら、彼はいつも明るく、接する人に元気を与えてくれます。
準々決勝では、途中から出場し、ビハインドを挽回しようと強豪中国相手に渾身のボールを投げました。残念ながらファールとなってしまいましたが、彼の勝利を目指す姿は、私の胸に刺さりました。惜敗はしましたが、彼の姿は光り輝いていました。 先日、山口選手の友人でもある羽富先生の発案で、SDGsの学習で視覚障害についてまとめている生徒と山口選手が、リモートでお話をしました。とても気さくに生徒に話をしてくださいました。彼がいたのは、パリオリンピックに向けた強化合宿所。もう大会に向けて頑張っていました。彼の勇姿をまた応援したいと思います。 月曜日の朝
週明け月曜日の朝です。既に気温が上昇し、暑い朝です。茨城県には、熱中症警戒アラートが発令されましたので、本日の部活動は、冷房の効いたところでのみの活動となります。熱中症に十分警戒をしていきます。
頑張れ男子ソフトテニス部個人戦チーム守中コラム〜共生社会
来年2024年は、パリオリンピック・パラリンピック開催の年。東京オリンピック・パラリンピックから3年という期間だからなのか、あっという間の気がします。東京大会のテーマの一つが「多様性と調和」。そして、大会のレガシー(遺産)としてパリ大会に引き継がれることが期待されているのは、障がいの有無にかかわらず、誰もが尊重し合い、それぞれの可能性を信じ発揮できる「共生社会」の実現だそうです。果たしてこのレガシーが、どのような形で受け継がれているのかという視点も、大会を楽しむ一つの視点ではないかと思います。
私は、東京大会ですべての競技を観戦することはできませんでしたが、時間の許す限り競技者を応援すべく、観戦しました。それぞれの競技で頑張っている選手を見て、感動し、称賛の気持ちで一杯になりました。 人はそれぞれ個性をもって生きています。「あれ?自分と違う」という、それぞれの個性を感じる感覚は、時に自己を認識する上である意味大切なのかもしれませんが、その気持ちが差別を起こしたり、多様性を認めることへの妨げになってはいけないと思います。個人的に、これからも共生社会実現への学びを深めていきたいと思っています。 私は、『「共生社会」の実現』という文言を見て、「ああ、そうか〜、まだまだ実現していないんだ」と感じました。人を人として尊重し、互いに助け合い、心を寄せ合い、思いやりの心をもって生きていくためには、まだまだこの現代社会には、あらゆるところで「見えない段差」があり、残念に思っています。 守谷市小中学校で、毎年児童生徒が話合いをするフォーラム、「きらめきフォーラム」。設立当初は、「守谷いじめ防止フォーラム」でした。いじめをなくそう、いじめゼロを目指そうという、当初の目標・願いは今も根底にしっかりと根付いていますが、いじめ防止以外の、あらゆる問題に対して児童生徒がしっかりと向き合い、真剣に話合いができるようにと、名称を「きらめきフォーラム」と変えました。 昨年度までは、コロナ禍でフォーラムが開催できない状態でしたが、私は将来的に「心のバリアフリー」=「見えない段差」をなくす社会、というテーマで、児童生徒が熱く語る機会になればと願っています。「人は皆平等」という、言葉だけではなく、心底相手を尊敬し、思いやる気持ちを社会全体が共有できれば、笑顔がさらに溢れ、人に優しい社会になるはずです。 1週間のスタート
月曜日の朝、1週間のスタートです。梅雨空で少しじめじめしていますが、雲の切れ間から見える青空がきれいです。
チーム守中コラム〜治療
前回、「怒り」の感情についてのコラムを書いているときに、「人の心も当然傷付く、治療しないといけないなぁ〜」、人は気分転換やゆっくりと休養することが大切・・・と、哲学思考になったとき、突然、頭の中に、「おんただぎゃとーどはんぱやそわか」という呪文が回り始めました。
この、「おんただぎゃとーどはんぱやそわか」は、昔のヒーローものであるテレビ番組、「レインボーマン」という番組で流れた呪文。レインボーマンが敵にやられて傷を負った際に、その治療手段として唱えた呪文です。子どもであった私は、何と言ってるかさっぱり分からず、この呪文を覚えるのに相当な時間が掛かったのを覚えています。そして、けがをした際に、この呪文を唱えていました。言わば、「痛いの痛いの飛んでいけ〜」的な感じです。 覚えるのに相当時間が掛かったものに、「モスラの歌」もありました。子どもながらに、難しそうな言葉を覚えたいと言う気持ちが強い割に、記憶していく手法、段階に甘さがあり、苦労したものだなぁ〜と今では分析してしまいます。 この御時世、けがや心の傷を治す呪文があればいいのになぁと哲学していたら、「大丈夫だよ」、「頑張ったね」、「元気を出そうね」、「そばにいるよ」という言葉が頭の中で回り始めました。治すというよりは、ホッとさせる言葉。我々は普段から魔法の言葉を使っているのかも知れないなぁと思ったところで哲学思考を終わりにしました。 金曜日の朝
週末金曜日の朝、梅雨空です。西日本では、線状降水帯が発生する恐れも。災害にならないよう願うばかりです。
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