チーム守中コラム〜合理的

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 朝、教室を回っていると、3階から筑波山の男体山と女体山の姿が見えました。ふと横を見ると、守谷駅近くに建設中のビルがあり、クレーンが物を運んでいました。

このクレーン、正式には「タワークレーン」と呼ぶそうです。最近では、聞き慣れた人も多いと思いますが、ちょっと前にはこのクレーンに関するクイズがよくテレビ等で出されていました。

Q「このクレーン、工事が終わるとどのようにして地上に降ろすのでしょうか?」というクイズです。

 初めてこの問題を目にした時は、さっぱり思い付きませんでした。答えは、「大きいクレーンを下ろすために、それよりも小さいクレーンを作り、下ろす。その小さいクレーンを下ろすためのさらに小さいクレーンを作って下ろす。これを繰り返して、コンパクトになったクレーンを、最後は分解してエレベーターで下ろす。」です。

 聞いてみると、理にかなった、合理的な作業です。しかしながら、この答えを聞いたときは、少なからず衝撃を受けました。あの大きなクレーンを下ろす作業の最終工程が「エレベーターで下ろす」だからだと思いますが、合理的な一連の作業工程に心揺らされたことは、頭の中をくすぐられたような感じがしました。

1年生の保健体育

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1年生の保健体育の授業は、武道。佐藤先生の専門の空手道。基本動作を練習していました。

金曜日の朝

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週末金曜日の朝、小雨降る寒い朝です。この時期は、雨が降るたびに季節が進んで行きます。冬支度を早めにしたいものです。

チーム守中コラム〜歌

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 「歌は世につれ 世は歌につれ」・・・昔の司会者がよく言っていたフレーズ、未だに頭に残っています。確かに流行した歌は、当時の世相とマッチングして、人々の記憶に刻まれています。歌は聴いたり歌ったりすることで、心のリフレッシュに繋がりますが、同時に昔を思い出す鍵のようなものにも感じます。

 最近、運転中に聞いているのが、スタジオジブリの映画の挿入歌。いろいろな人が歌っています。聴きながら、歌っている方の歌唱力に酔ったり、昔聴いていた、娘たちが小さかった頃を懐かしんだりしています。歌っている人の中で、特に気になる人が二人。木村カエラさんと満島ひかりさん。木村カエラさんは、昔から大ファンですが、改めて魅力を感じることができ、俳優の満島ひかりさんの独特なハスキーボイスに心和ませてもらっています。

 中学校の音楽の授業では、様々な歌に触れることができます。生徒は歌に触れるたびに心動かされ、記憶に刻んでいるんだろうなぁという思考にたどり着きました。

チーム守中コラム〜感覚

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 朝、目が覚めると、まずは眠気との壮絶な戦い。朝のルーティーンをこなし、外に出ると、朝日を浴びてほっこりします。同時に秋を通り越したかと思う冷たい空気に体を震わせ、スズメの鳴き声を聞いてリズムを取ったりします。

 哲学思考になって、改めて振り返ってみると、生活の中には、あらゆる「刺激」があり、それを「感じて」いることに気が付かされます。刺激を受けて感じる感覚によって、人の心は動かされます。今日のような素敵な朝日に触れると心躍り、どんよりとした小雨降る朝には、ついつい心を重くしてしまいがちです。そんなことを考えていると、「発想の転換」とか、「気のもちよう」という言葉にヒットします。

 刺激に対してどう心動かされるのではなく、刺激を感じていることに喜びを感じるといいのかなぁと、哲学が続きました。どんよりとした小雨降る朝の雰囲気を感じ、マイナスイメージを膨らませて心を重くするより、どんより、薄暗い、小雨・・・というものを、感じていることに喜びを感じると、きっとマイナスイメージも広がらなくなるのかなぁと思います。あるいは、こんな朝があれば、そのうちブルースカイブルーの気持ちのいい朝がそのうち来るさ!という考えをもつのもいいかなぁと思います。

 哲学は、ふっと浮かんだ、「ブルースカイブルー」から、西城秀樹さんを連想してしまい、収拾がつかなくなったので、閉じることにしました。

チーム守中コラム〜野草

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 朝、校舎の周りを歩いていたら、グラウンド脇の日当たりのいいところにホトケノザという野草が花を咲かせていました。寒い日が続く今、珍しく感じました。あれ?ホトケノザは春に咲く野草なのになぁと思い、調べてみました。

 調べてみると、ホトケノザの開花期は春ですが、日当たりがよい場所では通年花を咲かせるそうです。赤紫の花がたくさん付きます。ホトケノザはサルビアと同じシソ科の植物です。ホトケノザとサルビアは花の形も似ています。サルビアの蜜を吸って遊んでいた人は多いと思いますが、ホトケノザの蜜も甘いそうで、幼き頃、蜜を吸って遊んだ人もいると思います。

 ちなみに春の七草と言われているホトケノザとは、「コオニタビラコ」という植物のことを指しています。昔は同じホトケノザという名前で呼ばれていました。コオニタビラコの葉が放射状に広がる様子が、仏様の連座のようだというところから付いた名前です。よく春先に見られるホトケノザとは別の植物、ややこしいなぁといつも思います。

チーム守中コラム〜言葉、活字

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 相変わらずニュースでは、SNSでの誹謗中傷に関するものが幾つか報道されています。自分の思い、その思いも必ずしや正しいとは限らない中で、人に対して辛辣にぶつける・・・相手の気持ちを考えない、優しさのない行動で、切なさを感じてしまいます。

 先日、あることを長い間失念し、御迷惑を掛けた方に深く謝罪をしたことがありました。お詫びをしている私に、その方は、実に温かいお言葉をくださり、涙が出てしまいました。私はその温かいお言葉に救われました。

 言葉、活字・・・思いを伝える大切なものですが、使い方によって、相手を傷付けたり、相手を温かくしたりと、伝わり方が違います。美しい日本語を、人を温かくすることに使いたいなぁと思います。

水曜日の朝

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水曜日の朝、曇り空の寒い朝です。本当に秋を通り越して冬が来てしまったような陽気です。寒い中、紅葉等、目で秋を感じたいものです。

チーム守中コラム〜平和教育

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 今年度、修学旅行と分離して実施した平和教育。3年生は、7月に阿見町の平和記念館、自衛隊土浦駐屯地の記念館の雄翔館に見学に行きました。社会科の授業内で、戦争に関する史実を学び、当日行程のバスの中では、茨城生協作成の平和教育DVDを視聴しました。

 様々な展示物、ガイドさんの説明に、生徒は心を揺さぶられ、戦争の恐ろしさ、平和の大切さを実感していました。

 後日、自分が感じたこと、学んだことを新聞形式にまとめ、松風祭で展示発表しました。まだ、その展示は続けられており、1階廊下には、生徒の思いが詰まった新聞が並べられています。原爆投下のビデオの視聴、予科練生の家族へ送った手紙、亡くなった方々の遺品・・・見学当時、たくさんのその時代を物語るものに触れ、生徒の面持ちは、深い思考に入っているようでした。その思いが、新聞に表れています。

 海外で起こっている紛争・戦争・・・。生徒は、今回の平和教育で、「平和の大切さ」を実感し、これからの世界を支えながら、平和に向かって進んでいく大人になってくれると思います。

チーム守中コラム〜今日は何の日

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 朝起きた時、「今日は何の日かなぁ〜?」とぼんやり考えていたら、すぐに、「茨城県民の日だ!」と思い出しました。昔はディズニーランドに茨城県民が大勢遊びに行った日でした。今でもそうなのかも知れませんが、守谷市は登校日。学校で楽しく生活しながら、茨城県のことを思い、振り返る日です。

 他に記念日はないかと検索してみると、たくさんの記念日が制定されていました。その中で目に止まったのが、11=いい、13=ひざ で、「いい膝の日」。少し吹き出してしまいましたが、すぐに自分の膝のことを考えてしまいました。柔道の古傷で、首、肘、膝が時折悲鳴を上げる今日この頃。膝が痛む日は、歩くのも億劫になってしまいます。数年前、両膝に手術で人工関節を入れた母の気持ちが少しながら分かったような気がしています。母は手術後に脳梗塞を患い、右足が動かず、念願の卓球ラリーができなくなってしまいましたが、口の筋肉は健在で、今でもおしゃべりや甘いものを食べて筋トレしています。

 今日は、膝にいいことをしよう、何があるかなぁと思いを巡らせました。「薬、サポーター、ストレッチ・・・」、結論は、手軽にできそうなストレッチ。さらに悪化させないように、本でも買おうかなと思考を閉じました。

月曜日の朝

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 週明け月曜日の朝です。いいお天気ですが、先週末の雨を境にぐっと冷え込んできました。その中、半袖Yシャツで登校する生徒も見られ、心配をしてしまいました。寒さと共に乾燥も心配になってくる季節。衣服による調節を大切にする時期です。

 本日から、三者面談を実施します(3年生全員、1・2年生は希望者)。特に3年生は進路決定の時期。進路は生徒本人の決断で進むものですが、保護者の意見・学校が用意する資料を十分に参考にして決定していってほしいと思います。

チーム守中コラム〜校歌

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 玄関内に置かれている校歌の額。毎日目に入ってきて、時折読んでいます。昔から歌っていた歌詞なので、自然と頭に入っていきます。しかしながら、先日の松風祭で、3、4番になって、つっかえてしまいました。

 平成の頃、私が担任をしていた時は、校歌は2番しか歌いませんでした。教頭としての2度目の赴任の際に、4番まで全校生徒が歌っていることに大変驚き、必死で覚えたものでした。しかしながら、コロナ禍で歌わない時期が長くなり、いざ歌うとなると、若き日に慣れ親しんだ1・2番しかスムーズに歌うことができず、自分自身にショックを覚えました。

  一、若草萌ゆるまなびやに 富士と筑波を仰ぎ見る  自由と正義寛容の
   まことのおしえここにあり  共にみがかんわが友よ

二、 松のみどりに風かおる あかねの空にひびく鐘  古城のあとも照り映えて
生気あたりにみなぎりつ 共にきずかん守谷郷 

三、 三年の業はたゆみなく 利根の流れもよどみなし 真理をもとめひらきゆく      日々の歩みにのぞみあり 共につとめんわが友よ 

四、 われらの行くて幸あれと 大志にもえてひたすらに 心を身をもきたえなば
やがてくいなし若き日を 共にたたえん守谷中

 若草、富士、筑波、自由、正義、松、あかねの空、古城、生気、守谷郷・・・1・2番に入っている語句を改めて取り出すと、タイムスリップしたような感じになります、しかしながら、3・4番にも素晴らしい語句が並んでいます。しかも、守谷中という語句が出てくるのは、4番。3・4番も頭に染みこませたい気持ちで一杯です。

 三年の業、利根、真理、われらの行くて、大志、くいなし若き日、共にたたえん守谷中・・・素晴らしい言葉を頭に焼き付け、常に思い出しながら進んで行きたいと思いました。

金曜日の朝

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週末金曜日の朝、曇り空で、予報では雨が降るとか。この週末のお天気の崩れの後、一気に季節が進むようです。「今」の秋を十分味わって、冬を迎えたいものです。

水曜日の朝

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水曜日の朝、風も収まりいいお天気です。気温は例年よりは高めですが、昨日よりも下がっています。衣服による調節を心掛けたいものです。

チーム守中コラム〜何がプラスに

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 ふと考えてみると、最近、大きく体調を崩すことがないなぁと、振り返ったりします。感染症にも幸いにも近づかれることなく、たまに悲鳴を上げる膝や腰も、なんとなくしなやかに動いてくれています。はて、何がいいのか?生活習慣か?いやいや毎朝の納豆か?と思考を巡らせていても、結論には至りません。結局は、総合的なバランスなのかなぁと思考を終了してしまいます。

 何が幸いしているか?という思考に対して、私はいつも、「バタフライ効果(バタフライエフェクト)」と、「人間万事塞翁が馬」の二つの言葉を連想してしまいます。

 バタフライ効果とは、私がはまっている言葉の一つで、何回かコラムにも登場しました。非常に些細で小さなことが様々な要因を引き起こし、だんだんと大きな現象へと変化することを指す言葉です。
 
 名前の由来については、エドワード・ローレンツという気象学者の講演の題名『ブラジルでの蝶の羽ばたきはテキサスでトルネードを引き起こすか』から来ているそうです。ほんの些細な事が、徐々にとんでもない大きな現象の引き金に繋がるかという考え。少し神秘的な考えに聞こえるかもしれませんが、小さな出来事や物も、いろいろなものと繋がっているということだと思います。ちなみにバタフライ効果の例えは幾つかあって、百田 尚樹さんの著書『フォルトゥナの瞳』には、「北京で一匹の蝶が羽ばたくと、ニューヨークで嵐が起こる」と書かれています。

 また、「人間万事塞翁が馬」または「塞翁が馬」とは、人生に関する考え方の故事成語です。「にんげん ばんじ さいおうが うま」と読みます。意味は、「人生において、何かが起こった時、一見幸福でも後々の災いになったり、一見災いでも後々の幸福になったりることがある。人間の幸不幸は解らないものである」です。人生の幸不幸は予測しにくいということです。 この言葉には次のようなエピソードがあります。

 ある塞(砦)に近いところにおじいさんとその息子が住んでいました。
ある日、おじいさんの馬が他の地へ逃げていってしまいました。
周囲の人は、馬がいなくなったことをおじいさんが悲しんでいるだろうと思っていました。
ところが、おじいさんは「いやいや、これが幸福になるかもしれないよ」と笑って言いました。すると、しばらく経ってから、その馬が逃げていった地にいたとてもいい馬を連れて帰ってきたのです。周囲の人は、これは幸運だと言うと、おじいさんは「いや、これが不幸の元になるかも知れない」と心配したそうです。すると、おじいさんの言ったとおり、その連れ帰ってきた馬に乗っていた息子が落馬して、大怪我をしてしまいます。おじいさんは「もしかしたら、これは幸福になるかも知れない」と話すのです。
すると、そのうち大きな戦が起こり、砦にいた若者は、ほとんど戦死してしまいました。しかし、息子は大怪我で戦に行けず、命拾いしたのでした。

 私はこれらの言葉を、プラスの言葉として心に留めています。些細なことが、些細な作用をもち、それがつながって何かが好転する、あるいは、些細なこともおろそかにせず、丁寧に対応していれば、きっと未来にはいいことが待っている、、、と言った感じでしょうか。やはり、哲学すると、すぐに「丁寧」、「バランス」という言葉が頭に膨らみます。大雑把で几帳面ではない私は、知らず知らずのうちに自分への戒めの言葉を頭に刻んでいるのかも知れません。

チーム守中コラム〜未来

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 松風祭の前に、生徒会長さんと何回か、スローガンについて話をしました。「『未来と繋ぐ』というスローガンには、今を楽しむだけではなく、この松風祭でみんなと楽しんだことを、未来でも思い出したりし、ずっと私たちの心に刻まれてほしい、という思いがあります。」と、彼女は熱く私に伝えてくださいました。私も全くの同感で、この歳になると、昔のよき思い出が、老体、老心を支えているので、少しばかりの話合いでしたが、共感し、テーマを共有することができました。本当に生徒会長さんには感謝しています。

 「未来」について哲学してみると、「まだ来ない、未定のもの、これからのもの」というイメージが広がりますが、この哲学に、「今」と「過去」を織り交ぜると、一気に思考が深まっていきました。

 今日の「今」は、昨日の「今」の未来で、明日の「今」の過去である・・・そんな思考を膨らませていると,自然と「時間軸、タイムスリップ、タイムマシーン・・・」というような、SF的思考にもたどり着きます。

 思考の結論は、未来に向かって進んでいる自分は、進みながら「今」の上に立ち、過去を作っているのかなぁ〜というところにたどり着きました。「今」を大切にしたいと、大雑把な私は肝に銘じ、哲学を閉じました。

チーム守中コラム〜怒り、収める

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 私は元来短気な性格で、そのくせ心配性ゆえに小さな違和感に目が留まり、若い頃はついつい大きな声で怒ることがありました。仕事や家庭でのトラブルに対して、きちんと整えるための意見を相手に伝えるのですが、今となっては、もう少し、いや、かなり冷静でソフトに伝えるべきだったと反省しています。

 「怒りの感情は必要ない」と唱えていた人がいました。確かに怒りは、我をも忘れてしまう、大きくて不安定なエネルギーです。そのエネルギーが土台となって行動力に結び付くという、いいケースもありますが、多くは対人的なほころびを大きくしてしまいます。

 歳を重ねて、「収める」というワードが、自分の頭の中に大きな存在としてあります。「しなやかに、怒らずに柔らかく収める」ということは、どんなトラブルに対しても必要なことだと思います。

 近年、「怒らずに、しなやかに収める」という目標を立て、何かの折りに自分自身で確認しています。運転中も、「穏やかに、譲り合って」と肝に銘じてますが、先日、片側二車線の道路で、突然前方に割り込み、ぶつかりそうになった車に対して、「おーい!」と大きな声を出してしまいました。まだまだ未熟者だと、大声を出した後にひとしきり反省しました。「怒り」、「収める」・・・常に相手のことを考えながら行動したいものです。

チーム守中コラム〜余韻

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 先週木曜日に開催した松風祭は、とても素晴らしいものでした。保護者の皆様、地域の皆様の御支援・御協力、そして、生徒一人一人の、「思い出に残る一日に」という気持ちの集まりの賜だったと思います。皆様、本当にありがとうございました。

 中学校の教員としては、27回目の文化祭でしたが、私にとって、1番印象に残る文化祭だったと思います。そんなことを言うと、担任をしていた教え子に怒られてしまうかも知れませんが、全体を見る立場になって、様々な人の思い、苦労、努力を感じることができたためだと思います。

 全てが終了し、「よかった〜」と余韻に浸っていました。この余韻、生徒会長が話したように、10年後、20年後も心に刻まれていて、自分の心を温かくしてくれるんだよなぁと、確信に近い思いをもちました。これからも、生徒が、「やったー!よかったー!」という体験ができ、たくさんの余韻が心に刻まれるといいなぁと思いました。

月曜日の朝

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週明け月曜日の朝です。お天気は若干下り坂。夜半に雨が降り、朝も曇り空です。しかしながら気温が平年より高め。異常気象とも言える昨今のお天気、健康管理には十分留意したいものです。

松風祭の朝

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少し雲が見られますが、日中は気温が上がる予報です。本日は松風祭。合唱コンクール、展示発表、ステージ発表があります。生徒は今日まで本当に努力し、協力し合って準備を進めてきました。最高の一日になるよう祈っています。
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