水曜日の朝![]() ![]() ![]() チーム守中コラム〜何がプラスに![]() 何が幸いしているか?という思考に対して、私はいつも、「バタフライ効果(バタフライエフェクト)」と、「人間万事塞翁が馬」の二つの言葉を連想してしまいます。 バタフライ効果とは、私がはまっている言葉の一つで、何回かコラムにも登場しました。非常に些細で小さなことが様々な要因を引き起こし、だんだんと大きな現象へと変化することを指す言葉です。 名前の由来については、エドワード・ローレンツという気象学者の講演の題名『ブラジルでの蝶の羽ばたきはテキサスでトルネードを引き起こすか』から来ているそうです。ほんの些細な事が、徐々にとんでもない大きな現象の引き金に繋がるかという考え。少し神秘的な考えに聞こえるかもしれませんが、小さな出来事や物も、いろいろなものと繋がっているということだと思います。ちなみにバタフライ効果の例えは幾つかあって、百田 尚樹さんの著書『フォルトゥナの瞳』には、「北京で一匹の蝶が羽ばたくと、ニューヨークで嵐が起こる」と書かれています。 また、「人間万事塞翁が馬」または「塞翁が馬」とは、人生に関する考え方の故事成語です。「にんげん ばんじ さいおうが うま」と読みます。意味は、「人生において、何かが起こった時、一見幸福でも後々の災いになったり、一見災いでも後々の幸福になったりることがある。人間の幸不幸は解らないものである」です。人生の幸不幸は予測しにくいということです。 この言葉には次のようなエピソードがあります。 ある塞(砦)に近いところにおじいさんとその息子が住んでいました。 ある日、おじいさんの馬が他の地へ逃げていってしまいました。 周囲の人は、馬がいなくなったことをおじいさんが悲しんでいるだろうと思っていました。 ところが、おじいさんは「いやいや、これが幸福になるかもしれないよ」と笑って言いました。すると、しばらく経ってから、その馬が逃げていった地にいたとてもいい馬を連れて帰ってきたのです。周囲の人は、これは幸運だと言うと、おじいさんは「いや、これが不幸の元になるかも知れない」と心配したそうです。すると、おじいさんの言ったとおり、その連れ帰ってきた馬に乗っていた息子が落馬して、大怪我をしてしまいます。おじいさんは「もしかしたら、これは幸福になるかも知れない」と話すのです。 すると、そのうち大きな戦が起こり、砦にいた若者は、ほとんど戦死してしまいました。しかし、息子は大怪我で戦に行けず、命拾いしたのでした。 私はこれらの言葉を、プラスの言葉として心に留めています。些細なことが、些細な作用をもち、それがつながって何かが好転する、あるいは、些細なこともおろそかにせず、丁寧に対応していれば、きっと未来にはいいことが待っている、、、と言った感じでしょうか。やはり、哲学すると、すぐに「丁寧」、「バランス」という言葉が頭に膨らみます。大雑把で几帳面ではない私は、知らず知らずのうちに自分への戒めの言葉を頭に刻んでいるのかも知れません。 チーム守中コラム〜未来![]() 「未来」について哲学してみると、「まだ来ない、未定のもの、これからのもの」というイメージが広がりますが、この哲学に、「今」と「過去」を織り交ぜると、一気に思考が深まっていきました。 今日の「今」は、昨日の「今」の未来で、明日の「今」の過去である・・・そんな思考を膨らませていると,自然と「時間軸、タイムスリップ、タイムマシーン・・・」というような、SF的思考にもたどり着きます。 思考の結論は、未来に向かって進んでいる自分は、進みながら「今」の上に立ち、過去を作っているのかなぁ〜というところにたどり着きました。「今」を大切にしたいと、大雑把な私は肝に銘じ、哲学を閉じました。 チーム守中コラム〜怒り、収める![]() 「怒りの感情は必要ない」と唱えていた人がいました。確かに怒りは、我をも忘れてしまう、大きくて不安定なエネルギーです。そのエネルギーが土台となって行動力に結び付くという、いいケースもありますが、多くは対人的なほころびを大きくしてしまいます。 歳を重ねて、「収める」というワードが、自分の頭の中に大きな存在としてあります。「しなやかに、怒らずに柔らかく収める」ということは、どんなトラブルに対しても必要なことだと思います。 近年、「怒らずに、しなやかに収める」という目標を立て、何かの折りに自分自身で確認しています。運転中も、「穏やかに、譲り合って」と肝に銘じてますが、先日、片側二車線の道路で、突然前方に割り込み、ぶつかりそうになった車に対して、「おーい!」と大きな声を出してしまいました。まだまだ未熟者だと、大声を出した後にひとしきり反省しました。「怒り」、「収める」・・・常に相手のことを考えながら行動したいものです。 チーム守中コラム〜余韻![]() 中学校の教員としては、27回目の文化祭でしたが、私にとって、1番印象に残る文化祭だったと思います。そんなことを言うと、担任をしていた教え子に怒られてしまうかも知れませんが、全体を見る立場になって、様々な人の思い、苦労、努力を感じることができたためだと思います。 全てが終了し、「よかった〜」と余韻に浸っていました。この余韻、生徒会長が話したように、10年後、20年後も心に刻まれていて、自分の心を温かくしてくれるんだよなぁと、確信に近い思いをもちました。これからも、生徒が、「やったー!よかったー!」という体験ができ、たくさんの余韻が心に刻まれるといいなぁと思いました。 月曜日の朝![]() ![]() ![]() 松風祭の朝![]() ![]() ![]() 3年生の音楽![]() ![]() ![]() 水曜日の朝![]() ![]() ![]() |
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