チーム守中コラム〜抱負
新年を迎え、今年の抱負は?と自問自答したところ、ん?抱負ってそもそもどういう意味だろうと疑問に思い、調べてみました。
抱負とは、「心の中に抱いている決意や志望」とありました。他の文献では、「心の中に抱いている計画」ともありました。それを踏まえると、「○○したい、○○になるようにしたい」という気持ちだけではなく、強い意志をもって、「○○になるよう、□□をしていく、頑張る」といった、具体性、取組等までを考えるのが抱負ではないかと思います。 学校としても、「生徒が楽しく自分や集団を伸ばせる学校づくり」だけではなく、そのためには、具体的に何をして、どのようなゴールを目指すのかを考えていくのかが抱負となります。 守谷中学校は、現在、教職員で次年度に向けた教育計画策定プロジェクトを立ち上げ、各グループ毎に検討を重ねています。「生徒の笑顔が輝く学校」、「生徒が生き生きと生活できる学校」、「安心・安全な学校」を目指すための具体的施策、ゴール像を組織全体で考えて実行していきます。 チーム守中コラム〜七草
朝、空を見上げながら、「今日は何の日だろう〜昨日は1月6日で、い・ろ、色の日だったから、今日1月7日は、い・な=稲の日かなぁ?あ、そういえば取手市の稲小学校に勤めていたっけなぁ〜懐かしいなぁ〜」なんて思いにふけっていたら、「あ、七草の日だ!」と思い出しました。
1月7日は、「七草」をいれて炊いたお粥を食べるということで、「七草粥の日」や「七草の日」と言われています。 「せり、なずな、ごぎょう、はこべら、ほとけのざ、すずな、すずしろ、春の七草」という覚え歌、懐かしく感じるのと同時に、あ〜新春なんだなぁと感慨深くなりました。 お粥を食べるのには、いろいろな正月料理を食べて疲れた胃腸を休めるためでもあるとも言われています。確かに正月ならではの料理を口にしたとは思いますが、例年のように実家に親戚が集まってわいわい食べるということがなかったので、特別なものを食したという感覚はあまりありません。 胃腸に気を遣うのも大切ですが、新型コロナウイルスや、寒さ、乾燥、閉塞感からのストレス等、いろいろなものから身体を大切にしていかなければならないなぁと思います。 チーム守中コラム〜色
今日は1月6日。「色の日」だそうです。語呂合わせのお手本のような日です。
色と言えば、昨年の秋に、校庭のモミジの紅葉やイチョウの鮮やかな黄色、落ち葉のさまざまな色を見て、ひどく心動かされたことがありました。自然の色なのに、どうしてこうも鮮やかで美しい色なんだろうと、しばし見とれてしまいました。 先日、TVを観ていると、ストレスを溜めて心が疲れてしまった人は、色を感じず、モノクロに見えてしまうこともあると聞いて、秋口の感動を思い出しました。「色を楽しむ」ことは、心を豊かにすることにつながるかも知れません。身近な色を意識して見たり、心の中でさまざまな色を想像してみるのもいいのかなと思いました。 この時期の青い空、空気も澄んでとても綺麗です。夕方、校舎から見えるオレンジがかった街並み、とても美しい風景です。皆さんも心を休めるために、色に心を向けてみるのもいかがでしょうか。 チーム守中コラム 希望、努力
新春の名物である箱根駅伝。母校に出場してもらいたいところですが、残念ながら叶わず、何かしらゆかりのある大学に注目しながら、毎年テレビを観ながら応援しています。
今年の箱根駅伝は、往路から強さを見せた駒澤大学が総合優勝を飾り、駅伝三冠を果たしました。独走の中で、選手はどのような思いで走っていたのか、また、それを追う他の大学、特に往路で出遅れた強豪青山学院の選手の皆さんは、どんな思いでゴールを目指して順位を上げていったか等を想像すると、とても感慨深くなり、哲学にふけってしまいました。 「絶対に優勝する!」「順位を○位以内にする」という希望・信念は選手全員がもっているはずです。希望からの「可能性」も、冷静な判断から考えているはずです。大舞台での素晴らしいパフォーマンスは、強固な精神修養から生まれているに違いありません。その修養の裏には、想像を超える努力が隠れていると思います。 昔の、いわゆるスポ根の世界では、「自分を痛めつけろ」、「クタクタになるまで努力しろ」、という、努力=負荷、苦しみ=強い精神力というような図式があったように思います。しかしながら、本当の意味での努力や修養は、そのようなものでは無いと思います。 本当の意味での努力や修養は、自分の信念を貫き、自分を見詰め、希望から可能性を見いだして実行に移すということだと思います。かと言って、優勝できなかった大学の選手やシード権を取れなかった大学の選手がそれをしていなかったという訳ではなく、当日のコンディション等が微妙に働く、それこそ「勝負の神様」ならぬ、人が知ることもできないものがあると思ってしまいます。私は、順位はともかく、懸命に走っている全選手に拍手を送りたいと思います。そして、努力とは、人に強いられて自分を痛めつけるのではなく、自分を客観的に見る力から生まれてくるという考えをさせてくれた箱根駅伝に感謝しています。 やはり、自分を高め、伸ばしていくのは自分自身。希望を明確にし、自ら実行に移すことが大切なのだなぁと哲学の終着点にたどり着きました。少し前に、北海道日本ハムからメジャーリーグに移籍し、活躍しているダルビッシュ選手が語った言葉を思い出します。「いわゆるスポ根というものがないアメリカでも、優秀な選手がたくさんいる、本当に大切なのは、自己管理である」、といった感じの言葉です。 「努力」という言葉を、これからもじっくりと考えてみたいと思います。 一月五日の朝
気持ちのいい晴れの朝です。学校には部活動を頑張っている生徒の元気な声が響いています。
今日は何の日かなぁと、語呂合わせで予想してみました。今日は予想しやすく、いちごの日、囲碁の日と、当てることができました。 チーム守中コラム 今日は何の日
今日は一月四日。語呂合わせから、い(1)し(4)、石の日だそうです。私は子どもの頃、友達と石ころを集めて遊んだり、定間隔で埋められていた石を飛んだりして遊んでいたので、石には特段の思いがあります。鉱物が剥き出しになって光っていた石を家に持ち帰って大事にしていたりもしました。
石や岩は昔から神様の寄り付く場所として尊ばれてきたそうです。この記念日に、お地蔵様や狛犬、墓石など、願いをかけた石に触れるとその願いが叶うという言い伝えがあるようです。 語呂合わせから、石→いし→意志 と結び付け、新年の目標をしっかりと考え、頭に焼き付けたいなぁと思いました。 チーム守中コラム〜漢字
毎年、私は「今年の漢字」ということで、何にしようか考えて、一番多く選んでしまうのが、「柔」という漢字です。「自分が柔道をしていたということからではなく、「柔らかい」とは、しなやかで強いイメージがあり、何事にも柔らかく対応し、しなやかに事を進めたいという気持ちを込められるからです。
今年も「柔」かな?と考えていると、今のコロナ禍の状況、閉塞感や辛さを感じてしまう心境としては、何とか未来に希望や光を求めてしまう自分に気付きました。今年の漢字は二文字で、「希望」にしようと決めました。希望は、私の大好きな花、ガーベラの花言葉でもあります。 何事にも希望をもって、ポジティブに向かい合えば、きっといい結果がやって来る、そんな気持ちで過ごしていけたらいいなぁと思います。その思いに、「柔らかさ」を加えて、しなやかに頑張っていきたいです。 明けましておめでとうございます
新年、おめでとうございます。晴れの元旦、この一年が、世界中の人々にとってよい年となることを祈るばかりです。保護者の皆様、地域の皆様、そしてチーム守中の生徒の皆さん、教職員の皆さん、本年もどうぞよろしくお願いいたします。
2023年は卯(う:うさぎ)年。卯年とは、十二支の四番目ですが、干支(えと)となると、この十二支に、十干(じっかん)を合わせたものを言います。なので今年は「癸卯(みずのと・う)」。干支は12と10の最小公倍数で一回りしますので、60周期です。だから60歳を「還暦」として祝うのですね。昔は元号と十干十二支で年号を表していて、それでいくと今年は、「令和五年癸卯」となります。 十二支や十干は、それぞれ独自の意味をもっているそうです。「癸(みずのと)」がもつのは十番目という意味で、物事の終わりと始まりを意味し、癸は「揆(はかる)」という文字の一部であることから「種子が計ることができるほどの大きさになり、春の間近でつぼみが花開く直前である」という意味だそうです。「卯」はもともと「茂」という字が由来といわれ「春の訪れを感じる」という意味で、また、「卯」という字の形が「門が開いている様子」を連想させることから「冬の門が開き、飛び出る」という意味があるそうです。 この二つの組み合わせである癸卯は、「これまでの努力が花開き、実り始めること」といった縁起のよさを表しているそうです。まさに、コロナ禍の中、我慢の生活が続いている現在、この言葉どおり、皆で力を合わせて、花開き実り多き1年にしていきたいと思います。地道に、そして誠実に一歩一歩確実に前進していきたいと思います。皆様にとって、素晴らしい年になりますように、お祈りしております。 改めまして、保護者の皆様、地域の皆様、本年も温かい御支援・御協力のほど、よろしくお願いいたします。チーム守中の生徒の皆さん、教職員の皆さん、「真実の瞬間」を大切に、充実した生活を送りましょう。 守谷市立守谷中学校長 越智 壽雄 よいお年を
本日大晦日で、今年、2022年も終わります。明日からは2023年のスタートです。保護者の皆様、地域の皆様には、今年も生徒の学校生活において多大なる御支援・後協力をいただきまして、誠にありがとうございました。皆様のおかげで、このコロナ禍の中、生徒が元気に楽しく充実した学校生活や各種行事を無事に行うことができました。守谷中学校は、来年も生徒の安心・安全を第一に考え、生徒の学校生活を充実したものにするよう、教職員一丸となって邁進してまいります。来年も、御支援・御協力のほど、よろしくお願いいたします。
このコロナ禍の中で、学校ができることを精一杯行い、生徒の大切な中学校生活を、人生の貴重な体験の時間としていきたいと存じます。 生徒の皆さん、このコロナ禍の中、皆さんは本当に頑張って学校生活を送っていました。皆さん一人一人の頑張りが、大きな輪となり、学校を包んでいるようでした。皆さんは本当に素晴らしい生徒です。新年も、力を合わせて頑張っていきましょう! 寒気が日本列島を覆い、厳寒を感じるこの時期、保護者の皆様、地域の方々、そしてチーム守中の生徒の皆さん、教職員の皆さん、くれぐれも御自愛いただき、新年に希望溢れるスタートを切りましょう。 守谷市立守谷中学校長 越智 壽雄 チーム守中コラム〜魔王
『魔王』という曲。オーストリアの作曲家のシューベルトが若いときに作った歌曲です。先日、音楽の授業で1年生が鑑賞していました。鑑賞を終えたときの、衝撃を受けたような生徒の顔が印象的でした。
熱を出した息子を、馬で夜の闇の中を医者に連れて行く父親。高熱で魔王の声が聞こえると訴えている息子、迫り来る魔王の声。この曲は、一人の歌手が三役をこなしながら歌う曲です。迫力や単純且つ意表を突いた転調があり、一度聞いたら忘れない曲で、多くの大人の方も印象に残っていると思います。ポップスやロックとは違う味わいのある曲で、さしずめ、1年生もカルチャーショックを受けたようでした。 この休みに、ゆっくり音楽鑑賞などもいいかと思います。 27日火曜日の朝
いいお天気です。寒さ、風も弱まるとか。ひなたぼっこ日和です。
チーム守中コラム〜パイン
私は果物が好きで、スーパーではしょっちゅうカットパイナップルを買います。先日、購入している際、「このパイナップルという名前、本来は松 (pine) の果実 (apple)、つまりは松ぼっくり(松かさ)のことなんだよなぁ〜と思考していると、「パイン」というワードが頭を巡り、ハリウッド映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」を思い出してしまいました。
「バック・トゥ・ザ・フューチャー パート1」で、両親が高校生の頃にタイムスリップしてしまう主人公。その際に、住民から宇宙人と間違われて追われしまい、あわてて2本植えてある松の木を1本倒してしまいます。主人公がタイムスリップをする前、すなわち映画の中での現代は、その場所の名称は、「ツイン(双子の)パインズ モール」。いろいろあって、最後に過去から現在に戻ってきたら、そのモールは、「ローン(孤独の)パイン モール」に変わっていたのです。この映画は3部作ですが、このような小さな演出がちりばめられていて、本当に面白い映画です。 松と言えば、守谷の市の木。昔、体育祭で敬老会の皆さんと踊った守谷音頭の歌詞にも出てきました。そんなことを思っていたら、守谷中の昔の校舎も浮かんできました。懐かしさがこみ上げました。 26日 月曜日の朝
気持ちのいい晴天の朝です。年末の朝、少々気忙しい感もありますが、ゆったりした気持ちをもって、リフレッシュしたいものです。
お世話になりました本日で、今年の授業日は終わりました。明日からは冬休みに入り、生徒は御家庭・地域での生活となります。保護者の皆様、地域の皆様には、生徒の学校生活において多大なる御支援・御協力をいただきまして、誠にありがとうございました。皆様のおかげで、このコロナ禍の中、授業等の学校生活や各種行事を無事に行うことができました。生徒は自分と周りの人を大切にして、落ち着いた学校生活を送ることができました。 生徒には、本日テレビ会議システムで、前期・後期制なので、本日は終業式ではないものの、冬休みに入るという節目の日であり、それを意識して欲しいという話をしました。冬休み中は、コミュニケーションの一つ一つを大切に過ごして新年を迎えて欲しいとも話しました。 このコロナ禍の中で、生徒を取り巻く環境は、何かと窮屈で閉塞感を大きく感じるものになっています。私は、目標をもつことも当然大切だと思いますが、まずは心優しい生活、人を大切にできる生活を生徒に送って欲しいと願っています。春に御協力いただき、たくさんの傑作が生まれた「家守詩(やもりうた)」。この冬休みにも、御家庭で詠んでいただけると幸いです。 チーム守中の生徒は、冬休み明けも元気に充実した学校生活を送ると信じています。保護者の皆様、地域の皆様には、変わらずの御支援・御協力をいただきますよう、よろしくお願いいたします。 守谷市立守谷中学校長 越智 壽雄 チーム守中コラム〜ばあちゃんの話
祖母から教わった話はたくさんあります。「こんにゃくは体の中の砂を出すはたらきがあるから食べなさい。」、「ほうれん草をたくさん食べなさい。血が濃くなるから。」…食べ物にまつわる話は結構多く、ご飯粒から食事のマナーまで、たくさんの話を教わりました。概ねばあちゃんの話を信じ、実践してきたのですが、今、思い返すと、ただ一つ、信じがたい話がありました。それを紹介します。
「冬の朝、けんちん汁を食べたら、体が温まり、川にも入れる。」…凄い話だと、子供心に聞いていました。ばあちゃんの話を思い出してみると、こんな話です。ばあちゃんが子どもの頃、冬の寒い日に学校に向かったら、橋が壊れていた。何人かの子どもは、意を決して川を歩いて渡った。渡れた子は、みんな朝にけんちん汁をたくさん食べていたから、体が温まっていて冷たく感じなくて平気だった。というなんとも凄い話です。川を歩いて渡るという、少々危ない設定も含まれていて、いまだに思い出すと笑ってしまいます。さすがにそれはないのでは、と振り返るのですが、当時は信じていたのかも知れません。おそらく、温かい汁物は体にいいからちゃんと食べなさい、という教えだったと思います。ちなみに実家のけんちん汁は、豚肉がたくさん入っていて、ほぼ豚汁でした。 今も時折、汁物を食べて足先があったかくなった時に、祖母を思い出します。 チーム守中コラム〜しなやかさ、ゆとり
最近はあまり観なくなりましたが、少し前のACジャパンのコマーシャル。コンビニレジの前で、支払いのため慌てている老婦に後ろに並んでいる若者が、「アンタのペースでいいんだ 何も気にするな 自分らしく堂々と生きるんだ〜」とラップ調で語りかけるCMです。このCM、とても胸に響き、買い物をしてレジに並ぶといつも思い出しています。昨日も思い出していると、このCMと少しシチュエーションが違う出来事もあったなぁと、ふっと記憶が蘇りました。
数年前のスーパーマーケットでの出来事です。レジに並んでいると、前の御年配の御婦人のレジ打ちが始まりました。レジ担当の方は、長蛇の列を意識しているのか、他に仕事があるのか、とても焦っている様子でした。 そして、次の瞬間、ふっと私の目線が買い物かごから離れなくなりました。御婦人は、お孫さんへのおやつなのか、小さいお菓子を数袋購入していましたが、レジ担当の方が、一刻を争うかのごとく素早い手さばきで処理をしていて、しまいにはそのお菓子を半ば投げてしまっていました。お菓子とはいえ食べ物を投げてはいけないなあと、私はとても嫌な思いになってしまいました。自分の買い物も投げられはしないか、いや、もとより今、注意というか、一言言ってもいいのでは・・・、又は私が早くしてくれというオーラを出してはいないか・・・と、脳内でプチパニックを起こしていました。 そんな、思考がぐるぐる回っている私は、次の瞬間、ほっこりしたのです。レジ打ちが終わった時に、レジ担当の人の手が、かごに当たってしまいました。すると、御婦人が、「大丈夫?」と優しく声を掛けたのでした。店員さんは、「すみません」と返事をし、精算が終わった時に、御婦人が、「ありがとうね」とお礼を言いました。レジ担当の店員さんも笑顔で「ありがとうございました」とお礼を言いました。心なしか、店員さんの表情や雰囲気も和らぎ、プチパニックの私もほっこりと温かい気持ちになりました。私の買い物も宙を舞うこともなく、買い物が終わりました。 その御婦人の、しなやかでゆとりのある雰囲気が、少なくとも店員さんと私に伝わり、私たちにゆとりも生まれました。車に乗る際に心の中で「ありがとうございました」とつぶやいたのを今でも覚えています。 チーム守中コラム〜支持的風土
学校教育の中では、「支持的風土」という言葉がよく使われます。この支持的風土とは、さまざまな意見交換がなされる中でも、それぞれの意見、立場、人権等が尊重される、言わば思いやりの溢れる場ということになります。互いに認め合い、支え合う風土になり、それが個人・集団における自主的・実践的な態度を育成することに繋がります。伸び伸びと自分の意見を述べることができるには、この雰囲気がとても大切です。違う意見の人がいても、「そうか、そんな考えもある。」と周りが認めてくれれば、発表者はますます発言におけるハードルが下がり、盛んな意見交換が可能となります。
一方、支持的風土の逆、防衛的風土とは、いわゆる揚げ足取りや批判ばかり受けてしまう雰囲気で、強い批判が飛び交い、仲間の間に恐れや不信といった雰囲気ができてしまい、攻撃的でとげとげした感じの風土のことです。攻撃されたくないので、皆が疑心暗鬼で防衛に回ってしまうのです。 何気ないコミュニケーション、「真実の瞬間」を大切にし、人に優しい「支持的風土」溢れる守谷中であって欲しいと願っています。 金曜日の朝
金曜日の朝、令和4年最後の授業日です。いいお天気ですが、寒気の影響で、厳寒になるとか。晴れていてこれだけ気温が上がらないのは珍しいとのことです。寒さに負けず、頑張りたいものです。
チーム守中コラム〜冬の七草
冬至からのカボチャを想像していたら、もうすぐ新年だなぁと思い、そこから春の七草を連想しました。そして、「まさか冬の七草なんてないよなぁ」と調べていたら、なんとありました。
冬の七草とは、なんきん→カボチャ、れんこん、にんじん、ぎんなん、きんかん、かんてん、うんどん→うどん だそうです。すべて、「ん」が2つある食べ物なので運をたくさん摂るという「運盛りの野菜」と言われているそうです。 ダジャレみたいな感じですが、何に付け、おいしく物を食べると言うことは、健康につながり、運も増すと思います。多くの人との会食ができない今、各家庭等で温かい食事を摂り、心も温かくしたいものです。 チーム守中コラム〜信じる
女優の芦田愛菜さん、昨夜のテレビCMでめっきり大人となった姿を見て、あの子役の頃とは違う、大人の雰囲気を醸し出しているなぁと感心してしまいました。彼女は、上手な演技もさることながら、頭脳明晰で熱心な読書家としても知られています。そんなことを頭の中で考えていると、ふっと昔の記憶が蘇ってきました。
2年ほど前の映画の試写会か舞台あいさつかは忘れてしまいましたが、そこでの芦田愛菜さんのお話の内容が頭によぎりました。その映画は、『星の子』という映画で、原作は、先日北守谷公民館で開催された「中学生ビブリオバトル」において、けやき台中学校の生徒がお薦めの本として紹介した本です。 芦田愛菜の話した内容は、「信じること」。この映画のテーマでもあるとのことでした。彼女は、人を信じるということについて、「人を信じるということは、その人自身を信じているのではなく、自分が理想とするその人の人物像に期待してしまっていることなのではないかと思います。だからこそ人は、裏切られてしまったとか言うけれど、それはその人の見えなかった部分が見えただけであって、その際に、「それもその人なんだ」って受け止めることのできる、揺るがない自分でいることが信じられることなのかなあと思います。でも揺るがない自分の軸をもつことはすごく難しい。だからこそ人は信じるって口に出して言って、不安な自分がいるからこそ、成功した自分や理想の人物像にすがりたいんじゃないかなって思いました。」と話したとのこと。 私は、この話を聞いて、とても驚き、哲学的思考に入りました。高校生の彼女は発した話。私が高校生の時、こんな深い考えをもっていたかなあと、感心しました。私は大人になってからやっと、「信じる」ということについて、おぼろげながら考えを深めることができました。その考えは、方向としては芦田愛菜さんと遠からずというところでしょうか。 「信じる」ということは、その人、ものに対しての信頼に加え、自分の願い・望みを加えたものだと思います。昔、「2人の間の人間関係」というものは、片方だけがいい、悪いというものではなく、お互い様である、と聞いたことがあります。まさに「信じる」ということもそうなんだろうと思います。そして、彼女が語った自己の内面。「揺るがない自分の軸をもつ」という言葉、まさに日々心に留めておきたい言葉だと思います。私は、ブレブレの軸の振動を止めようと握りしめ、その振動でブルブル震えてしまうこともあります。 「信じる」とは、人それぞれにさまざまな場面で対峙する自己の感情。この複雑な社会の中において、何事も信じながらゆったりとした生活をしたいものです。そのためにも、皆が、自分と周りの人に優しくなれることが大切だと思います。 余談ですが、今年夏前に芦田愛菜さんは、名優の宮本信子さんと11年ぶりの共演を果たしました。共演した映画『メタモルフォーゼの縁側』はとても評判のいい映画ですが、残念ながらまだ観ていません。しかしながら、11年前の共演映画『阪急電車〜片道15分の奇跡〜』は私のお気に入りの映画です。誇張ではありませんが、50回以上は録画したものを観ています。原作は有川浩(現在は有川ひろ)さんで、人間模様をテーマにした奥深い物語です。原作も、映画もお薦めです。 |
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