火曜日の朝
火曜日の朝、小雨が降っています。気温も上がらず、冷たい雨です。今年もあとわずか。明日は1・2年生は後期中間、3年生は学年末テストが行われます。皆が実力を発揮できるよう祈るばかりです。
チーム守中コラム〜情報との向き合い
今の時代、雑誌はもちろん、携帯電話やインターネット等の普及・発達によって、昔と比べるととてつもない情報が、我々の前に現れ、目に入ってきます。携帯電話を持ち始めた20数年前は、「便利だなあ」と思っていましたが、今はとても危険に感じ、情報との向き合いに対するしっかりとした考えをもつことは、これからを生きていくためにはとても大切なものであると思っています。
さまざまな情報の中には、いろいろな人の「感想」、「意見」、「批判」等があります。最近凄く感じるのが、「誹謗中傷」という言葉を、何度も目にするということです。 人は情報を目にした時、心動かされます。時には喜び、時には怒りを覚えたり、驚いたり・・・昔、「トリビアの泉」という番組がありましたが、人は生来、「知る」ということを欲している動物で、知り得た情報に感情が反応し、それを時には好むことも多いのだと思います。反応の結果、人を傷付ける誹謗中傷が生まれてしまうということは、残念でなりません。 「誹謗中傷」という言葉が多く当てはまってしまうSNSの世界は、今一度、人への思いやりを考え直して欲しいと思います。何も、「匿名性があるからといって、思ったことを書かないように」というのではなく、誹謗中傷を「思ってしまう」気持ち自体が変わればいいのになあと思っています。 調べてみると、誹謗中傷とは、根拠のない悪口を言いふらして他人の名誉を損なう行いのこととありました。「誹謗」とは「人の悪口を言う」ことで、「中傷」は「根拠のない内容で人を貶める」ことだそうです。そこには、人に対する悪意があるとも書かれていました。そして、誹謗中傷と批判は、大きく違うとも書かれていました。 この複雑化した社会において、情報を受け取ったときの自分の反応に向き合い、それの結果、自分の思いや言動が、自分や他人にマイナスに働かないようにコントロールすることが大切だと思います。何よりも、情報に振り回されないようにしたいものです。 月曜日の朝
週明け月曜日の朝、いいお天気です。1週間のスタート、気持ちを上げて頑張りたいものです。
ビブリオバトル 素敵な紹介チーム守中コラム〜進路
いよいよ3年生は進路決定の時期を迎えます。卒業後にどんなことを学びたいか、何を頑張りたいか、そしてどこで頑張りたいかを見定め、自己決定をし、自己実現を果たすべく、計画的に努力をしていかなければいけません。
かくいう私はどうかというと、中学・高校時代は漠然とした職業観をもってはいたものの、具体性はなく、何か一つ筋が通ったものがあったかというと、胸を張って言えるものがあったのかなぁと思ってしまいます。しばし考えていると、一つあるとしたら、「生物」という教科をとことん好きになって、勉強しまくったことかなぁと思考がたどり着きました。 ところが、今の高校生が使用している生物の教科書は、私がこよなく愛した教科書とはまるで違っていて、随分前に読んだ時に大きなショックを受けました。教科一つを取っても、内容や表記が変わっていくのだなあと物思いにふけったりしました。そういえば社会で習った鎌倉幕府ができた年号は、1192年だったけれど、今は1185年とされているみたいだよなぁ・・・教科書、教科というものは、不変的なものだと思っていたのは間違いで、最新の発見・情報が織り込まれて変わっていくものであったのです。 進路というのは、柔らかくてしなやかなものであってほしいなぁと私は思います。自分が転職をしたからではありませんが、人生の節目で決断した「進路」は、次の節目で方向が変わったり、前の決断で決めた方ではない方に進んだりすることも多いと思います。かと言って、いい加減な気持ちで決断しても、後で取り返すことができる、と捉えてしまうのは危険です。その都度、真剣に考え、自分に自信をもって決断していくこと、それ自体を進路と呼ぶのだと思います。 中学生の皆さんには、これからの人生を楽しく、そして充実したものになるような進路を歩んでいってもらいたいと思います。 チーム守中コラム〜主観、客観
今朝、朝日を見ていたら、ふと「天動説」という言葉が頭に浮かびました。はるか昔、太陽が地球の周りを回っていたという説、発想的には「地球が中心」と言ったところでしょうか。研究が重ねられ、その後「地動説」という、地球が太陽の周りを回っているという説に人類はたどり着き、天文学が進んでいきます。この二つの説は、現在の中学校理科でも時折出てきます。「見かけの太陽の動き」→「太陽の日周運動」と3年生の理科で学習します。大きな宇宙を解明するには、「見た目」と「実際の動き」の両面で考えることが大切であったのかなあと思います。
この二つの説を、朝日を見ながら思っていたら、「主観と客観」という言葉にたどり着き、ものの見方・考え方も、この両面で進めることが大切だよなあと、哲学思考になりました。 とはいっても弱い人間の私は、ついつい主観が強くなってしまいがちです。あらゆる角度からものを見て、考えていきたいと再認識しました。 雲チーム守中コラム〜人のつながり
今年、北海道日本ハムファイターズの監督となり、さまざまな話題を振りまいた、新庄剛志さん。幼き頃からファイターズファンの私にとっては、複雑な1年でした。奇想天外ともいうべき彼の言動は、多くの人を惹き付けました。彼の現役選手時代の有名なエピソードの中に、「敬遠した球をサヨナラヒット!」というのがあります。相手は巨人の完全試合男の槙原寛己さん。実は新庄さんはそのドラマの前、8回裏に同点ソロホームランも打っています。
そして延長12回裏1死一、三塁の場面。甘い敬遠球を思いっきり叩き、レフト前サヨナラヒットを打つのです。この劇的な試合は、プロ野球ファンに、未だに語り継がれています。 そして、このお話には、「人のつながり」のエピソードがあります。敬遠の球を打ち返した選手は、新庄選手だけではありませんでした。なんと彼が師と仰ぐ、柏原純一さんという方も敬遠の球を打ち返しています。柏原さんは、阪神タイガースに新庄さんが入団した時のコーチでした。実は柏原さんは、現役時代、「親分」と呼ばれた大沢監督率いる日本ハムファイターズの4番バッターで、私の憧れの存在でした。「4番、ファースト、柏原」という、アナウンス嬢の声は未だに忘れずに心に刻まれています。 その昔、柏原さんは、西武の永射投手の敬遠の球が甘くなったのを見逃さず、思いっきり叩いて、なんとホームランにしてしまったのです。 この師弟関係の二人、豪快さでも共通するものがあったようです。今は申告敬遠というルールがあり、こんなドラマチックなシーンは生まれないのがなんとなく残念です。 よく、「先人の真似をしろ」といいます。私は、先人が行ったよいことを模倣することは、とても効率的で、スキルアップにも結び付くものだと思います。しかしながら、真似しようにもなかなかできないこともあります。その点では、新庄さんと柏原さんは、本当に奇妙な縁でつながっているのかも知れません。人と人とのつながりは、奥深いものです。 チーム守中コラム〜平成3年調べてみると、「湾岸戦争勃発」、「東京都庁新宿新庁舎開庁」、「雲仙普賢岳大火砕流発生」、「景気拡大、いざなぎ景気超える」等の記事がありましたが、私の目に留まったのは、「横綱千代の富士現役引退 通算1045勝」という見出しでした。 私の幼き頃の大相撲界は、まさに北の湖と輪島の両横綱の時代。その時代には、柏市出身の麒麟児という力士もいて、応援していました。そして、その時代の次に出てきた大横綱の千代の富士は、力士にしてはスマートな身体ながら、筋肉隆々で、大きな相手を豪快に投げていました。 彼が引退会見の時に、「体力の限界」と言った時に、私は心の中で「お疲れ様でした」と言いました。千代の富士関は、生来肩が外れやすい形状で、脱臼を防ぐために猛烈に筋肉を付けていたということを知っていたからです。「関節」というのは、スポーツマンにとってはとても大切なもの。私も野球と柔道をして右肩・右肘がボロボロになった時に、「頑丈な関節だったら」と嘆いたこともありました。怪我やハンデと上手に付き合うということも千代の富士関は多くの人に伝えたのではないかと思います。 怪我と上手く付き合うといえば、昔教えていた柔道部の生徒にも、千代の富士関と同じように肩の形状が外れやすい生徒がいました。数回ですが、彼は練習中、「あっ!」と声を上げることがあり、どうしたのかと話し掛けると、「肩が外れました〜!」と。彼は心配して駆け寄る私に向かって、「大丈夫です。」と制止し、自分で「えい、やっ、」と肩を入れたのでした。「昔から外れやすいので・・・」と笑っていた彼は、3年生の時には内股を駆使するチームのポイントゲッターになっていました。 旧校舎写真から平成3年、千代の富士関、そして怪我との向き合い方と思考が繋がっていきましたが、そんな繋がりを考えていたら、「思考・哲学とは、何をスタートにしても広がるものなのだなあ」と思ったりしました。「考えにふける初冬」とでも言うのでしょうか。 チーム守中コラム〜休み
忙しい忙しいといって、ついついゆったりと休むことをおろそかにしてしまうと、後々不具合が生じてしまいます。私は生物学的にも、人は活動と休息をバランスよく繰り返すのが、人の生活において大切だと思っています。例えば睡眠。寝るのが面倒くさい、ゲームをやり続けたい!なんて人もいるかもしれませんが、恐ろしい話です。睡眠をとらないと、人は脳が休まらず、やがて大きな障害が生じてしまいます。睡眠、休みは大切です。
災害時の活動について、面白い話を聞いたことがあります。ある集団は、川が決壊しそうなので、必死に土のうを積み上げています。休み時間などもったいないと、ひたすら活動しています。もう一つの集団は、定期的に休み時間を設定し、活動しています。結局、この二つの集団で、効率よく活動できたのは、後者の方だそうです。休むと言うことは、活動することを支える大切のものなのです。 このバランスをしっかりととって、生活したいものです。 チーム守中コラム〜寒さと植物
今朝、出勤しようと車を見ると、見事に凍っていました。近所の空き地の草にも霜が降りていて、白くなっていました。こんなに寒い中、植物はさぞ大変だろうと思う方も多いと思われる方も多いと思いますが、植物は、戦略的に寒さ、凍結対策を講じています。
まず、多くの植物は、秋から初冬にかけての一桁の気温の時に、低温馴化という冬支度を行います。植物も生物ですから、細胞が凍結してしまうと中の成分が壊れてしまいます。低温や日長の変化などを感じとると、植物は細胞内に糖類やアミノ酸、タンパク質などを蓄え、凍結しにくい状態にするのと同時に、細胞膜の成分も変えて凍りにくい対策を講じているのです。余談ですが、低温馴化して冬に強い植物の中にも、夏の低温には弱いという植物が意外と多いというのは面白いものです。 また、植物体の外側だけを凍らせて、内部を守る仕組みをもった植物もいます。そのようなシステムをもたず、種子を残すことで越冬する植物も多くいます。 この冬の時期、草木は静かに眠っているようですが、春に向けて辛抱しているのです。暖かい春、希望の春の前の準備段階とでも言いましょうか、植物は季節の移り変わりをむしろ楽しむかのように過ごしているのかなぁと哲学思考を巡らせました。 水曜日の朝
非常に寒い朝です。お天気はよく、気温は上がるようですが、体調管理には十分留意したいものです。
今日の給食
12月6日の給食は「ごはん、牛乳、冬野菜のチキンカレー、水菜と大根のサラダ、みかん」です。カレーには守谷市産れんこんを使用しています。
教室では栄養教諭がれんこん畑を取材し、収穫を体験した動画を放送しました。 チーム守中コラム〜コーヒー
私はコーヒーが大好きです。1日に3杯はいただきます。コーヒーとの初めての出会いは幼き頃でしたが、母が執拗に「成長に悪い」と飲ませてくれませんでした。
飲ませてくれるようになってからのコーヒーとの付き合いは、母が作るコーヒー牛乳としての付き合い。非常に甘く、子どもの私にはちょうどよかったのかも知れません。 今ではほとんどをブラックでいただいています。コーヒーの効能等を思いながらも、やはり香りや味がいいので飲んでいます。味の嗜好に変化があったのかと考えていたところ、私は生来、苦いものが好きなようで、ゴーヤや、土筆(つくし)の煮物が大好きで、コーヒーも、あの独特の苦みに惹かれているのかもしれません。 コーヒーの効能で私が一番だと思うのが、香りによるリラックス効果。このコロナ禍の中でのリラックスは、自身が意図的に行わないといけないと、コーヒーをおかわりする自分を正当化したりしています。 チーム守中コラム〜師走
何気なくスケジュール帳を見ていたら、もう今月も6日なのに、「あ、もう12月だ!」と、はっとしてしまった自分に苦笑いをしてしまいました。時の流れは実に早いもので、今月は12月、師走です。師走とは、字のごとく、師が走るほど忙しいと言われる月で、由来も、年の瀬で気忙しくなる時期で、どっしり構えて読経するお坊さんまでが走り回る程の多忙な月というところから来ているそうです。
ちなみに師走以外の12月の別名を調べてみると、たくさんありました。冬の最後を意味する「晩冬」、「三冬月」、「春待月」、寒さを表した「苦寒」、年の最後の意味で「歳極月」、梅の花が咲き始める「梅初月」等です。 師走、言葉からは気忙しいイメージが湧きますが、体験的には年の瀬、大晦日、1年の締めという大きな節目をイメージします。私のイメージは、つい10年ほど前までは、大晦日に実家の両親が営む豆腐屋の大掃除をしていたので、それをイメージします。豆腐屋は、油を多く使うので、油汚れが至る所につきます。手がボロボロになるまで必死に掃除したのを思い出します。大掃除の後、家に戻り温かいお風呂に入り、年越しそばを食べるのが年中行事でした。心地よい疲労感と達成感、そして翌日迎える新年への思い・・・私のイメージはそのような感じです。人はそれぞれ、この時期に特別な思いがあるはずです。 このコロナ禍の中、帰省したり親戚で会食をしたりすることは昔と比べると難しいかも知れません。そのような中でも、しっとりと1年を振り返り、新年への思いを膨らませる余裕が欲しいものです。「特別な」と何かにつけて言われますが、今年の年末は当たり前ですが今年だけ。コロナ禍なりの、温かいものにしたいものです。そのためには、気忙しくならず、自分を大切にしながら、周りの人に丁寧に、そして優しく接していくことが必要だと思います。自分と周りの人の心に温かい灯火が宿るようにと、すべての人が優しさをもって生活できることを願います。 火曜日の朝
火曜日の朝、本当に寒い朝です。小雨が降り、車の外気計は雨ぎりぎりの3度でした。防寒対策、感染対策と、何かと対策が必要になってきますが、「備えあれば憂い無し」といきたいところです。
チーム守中コラム〜経験と学習
1年生の理科で学習する「音」。現在行っている「光」の次の学習です。さまざまな物を使って音を出し,生徒は音について体感していきます。この「音」は波であるということや,音の伝わる速さについて学習を進めていきます。これらについては,生徒は既に生活の中で体験しているものなのです。自分の体験と結び付けて学習を整理することができる生徒は,知的好奇心が高まり,学習効果が上がります。
音が波であるということを体験できるのは,救急車のサイレン。近付いてくる救急車のサイレンの音は高く聞こえ,すれ違って離れていく救急車のサイレンは低く聞こえる,理科ではこれを「ドップラー効果」と呼びます。2点の距離が縮む運動での音は波が圧縮されて高く聞こえ,2年の距離が離れていく運動での音は,波が引き延ばされて低い音になるというものです。 また,音の速度を体験できるのは,多くの人が嫌いな雷です。光は速度がとても速く(1秒間に約30万キロメートル),ほぼ同時に伝わると考えると,音はかなり遅れて聞こえます。「ピカッ ゴロゴロ」と,ずれた秒数で雷の場所がどれだけ離れているかを推測することができます。音の速さは1秒間に約340メートル。意外と?遅いのです。 こんな風に,既習事項と自分の体験を繋げるということが大切です。理科は,「身近なもの,実生活に関連付けて」学習する教科です。余談ですが,光は速いといっても,太陽が発した光が地球に届くまでには約8分19秒ほどかかっています。ということは,今見える暖かな日差しは,8分以上前に太陽が発した光ということです。そう考えると神秘的だなあと思います。 月曜日の朝
週明け月曜日の朝です。小雨がぱらつく、とても寒い朝です。週のスタート、寒さに負けず頑張りたいものです。
今日の給食
12月2日の給食は「ソフト麺、牛乳、しょうゆラーメンスープ、焼き餃子、ブロッコリーのおかかマヨ和え」です。ラーメンスープにはメンマやねぎなどを入れ、よりラーメンらしくなるようにしました。
チーム守中コラム〜出会い,選択
先日,生徒の落ち着いた学校生活を見ていて,つい哲学思考に入り込んでしまいました。生徒は日々出会いを繰り返し,さまざまな選択をしています。そんな中で生徒が落ち着いているのは,「いい出会い,いい選択」をしているんだなぁと思います。人は,この社会に生活していると,たくさんの人やものとの出会いを経験したり,たくさんの選択を迫られます。そして,無意識のうちにストレスや疲労を溜めてしまうことがあります。しかしながら,悪いことばかりではなく,一つの出会いがその人を大きく変え成長させたり,一つの選択が,正しい道にその人を導いたりすることもたくさんあると思います。そんなことを考えていると,何がプラスで,何がマイナスなのかなんて分からないものだと,「人間万事塞翁が馬」という言葉にたどり着きました。
人は,成長のためにも,あらゆる出会い,選択を「経験」することが大切であると思います。「選択」というと,ある学者さんが唱えた説によると,人は一日に最大で35000回の決断をしているとか。そんなことを考えていると,すべての人の無意識に近い選択や,買い物や交渉などの大きな選択が,その人にプラスになって欲しいなぁと思ってしまいます。 学校の生活が落ち着いているのは,一人一人が落ち着き,それが集団の雰囲気になっているということに他なりません。そう考えると,やはり一瞬一瞬の,「真実の瞬間」を丁寧にしていくことが大切であると考えが至り,落ち着きました。 とは言っても,なにがプラスになるか分からない・・・と考えると,私はいつも「バタフライ効果」という言葉を思い浮かべます。 バタフライ効果とは,これまで数回コラムに登場してきた言葉ですが,非常に些細な小さなことが様々な要因を引き起こし,だんだんと大きな現象へと変化することを指す言葉です。 名前の由来については,エドワード・ローレンツという気象学者の講演の題名『ブラジルでの蝶の羽ばたきはテキサスでトルネードを引き起こすか』から来ているそうです。ほんの些細な事が,徐々にとんでもない大きな現象の引き金に繋がるかという考えです。少し神秘的な考えに聞こえるかもしれませんが,小さな出来事や物も,いろいろなものと繋がっているということだと思います。ちなみにバタフライ効果の例えは幾つかあって,百田尚樹さんの著書『フォルトゥナの瞳』には,「北京で一匹の蝶が羽ばたくと,ニューヨークで嵐が起こる」と書かれています。そう考えると,「真実の瞬間」は,生活の至る所にあって,その一つが朝の挨拶だったり,御家庭での何気ない会話であったり,テレビドラマの一シーンであったりするのだなぁと,一旦落ち着いた哲学思考が深まっていました。 出会い,選択を大切にしたいものです。 |
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