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1月5日

慶応3年の1月5日は、日本を代表する文豪として、『吾輩は猫である』や『こゝろ』など、数々の小説を生み出した夏目漱石の誕生日だそうです。
そんな、夏目漱石には、以下の数々の名言があるそうです。
・自分の弱点をさらけ出さずに人から利益を受けられない。自分の弱点をさらけ出さずに人に利益を与えられない。
・愛嬌というのはね、自分より強いものを倒す柔らかい武器だよ。
・人間は角があると世の中を転がって行くのが骨が折れて損だよ。
・人間はね、自分が困らない程度内で、なるべく人に親切がしてみたいものだ。
人としての生き方を示唆してくれる言葉に、文豪夏目漱石の素晴らしさを改めて感じることができました。
そして、以下の言葉も・・・。
・のんきと見える人々も、心の底をたたいてみると、どこか悲しい音がする。
・色を見るものは形を見ず、形を見るものは質を見ず。
・恐れてはいけません。暗いものをじっと見つめて、その中から、あなたの参考になるものをおつかみなさい。
大切なものを、いかに、どう見るのか。
心で見ることの大切さを改めて夏目漱石が語る言葉に考えさせられた1月5日となりました。

1月4日

万有引力の法則を発見したとされるアイザック・ニュートンは、当時のイギリスではユリウス暦が使われていたため1642年12月25日の生まれとなりますが、現在私たちが使っているグレゴリオ暦に従うと、ニュートンの誕生日は1643年1月4日になるそうです。
そんなニュートンは、1661年18歳でケンブリッジ大学に入学し、デカルトやガリレオ・ガリレイ、コペルニクス、ケプラーといった自然哲学者の著書を好んで学んだそうです。
大学でニュートンの師となった数学者のアイザック・バローはニュートンの才能を高く評価、支援し、ニュートンの才能は開花、1665年、22歳のときに万有引力を発見、さらに微分および微分積分学へと発展したそうです。
ニュートンの三大業績(万有引力の法則の導入、微積分法の発明、光のスペクトル分析)はすべて25歳頃までになされたそうです。
そんなニュートンには、以下の名言があります。
・どんな行動にも、必ずそれと等しい反対の反応があるものである。
科学者であるニュートンだからこその一言で、この言葉には人が生きていく中での深い意味が詰め込まれていると感じた1月4日となりました。
そして、ニュートンは、
・今日なし得ることに全力をつくせ。しからば明日は一段の進歩あらん。
とも言っているそうです。
どんなに才能があっても、今、するべき時にするべきことに全力を尽くさなければ、明るい明日は待っていない、そんな大切なことを改めてニュートンが教えてくれた1月4日ともなりました。
守小の皆さん、「今」するべきことを積み重ねることができる人間に、その行動には、必ずそれと等しい反対の反応があることを信じて・・・。

第99回箱根駅伝

昨日、見事、駒沢大学の優勝で終えた第99回箱根駅伝、今年も大学生の頑張りの中に、数々のドラマがありました。
守小の皆さんも観ましたか。
そんな中でも、数多くの人に大きなインパクトを与えた選手の一人は、最後は失速し、区間3位でゴールとなりましたが、1区を走ったオープン参加の関東学生連合チーム、育英大4年生の新田颯選手ではないでしょうか。

そんな新田選手はインタビューで「レースの感想は」の質問に対し、「本当に最後ということで、悔いのないようにと思っていた。イメージしていたのは3パターン。最後で競い合うイメージと、ハイペースになったら抜くイメージ、そして自分が飛び出すイメージ。そのうちの1つがハマった」と答えています。
しっかりとイメージを持ち、大学生活最後の走りに臨んだ結果が、多くの人々の心を動かすことにつながったのだと思います。
また、「1区は自分の希望か」の質問に対し「はい、希望しました」、「箱根駅伝への憧れはいつから」の質問に対しては、「正直、憧れとかはまったくなくて。自分自身、陸上をしようと思って始めたわけではないので、陸上をしていくうちに箱根駅伝という目標を掲げるようになった。大学に入って、せっかくなら箱根駅伝を目指そうということで、1年目から少しずつ段階を踏みながらやってきた」と答えています。
しかし、そんな大舞台箱根駅伝の1区を経験して、「走ってみて特別な思いは」の質問に対し、「特別な思いが芽生え始めたのは、関東学生連合の主将を任されてから。自分自身、無名でやってきた。そういった選手でも箱根を走れると、いろいろな子たちに伝えられたらいいなと思って走った」と回答しています。
無名選手でも多くの人に感動を与えられることを証明してくれた新田選手、頑張る姿はやはり人の心を動かします。
そんな新田選手は、中学生の時はハンドボールをしていて、1年生の夏にハンドボールの体力づくりの一環で長距離をしようとしていた時に、ちょうど長距離の監督から声をかけてもらい、『朝練だけおいでよ』と言ってもらったことがきっかけとなり、高校から陸上部に入ったそうです。人生を変えるきっかけは、いつ、タイミングでやってくるのか不思議なものです。
高校駅伝では、そんなに目立った記憶はなく、3000メートル障害で出場したインターハイでは思うような走りができず、大舞台で結果を残すことが課題だったそうです。
そして、大学進学に関しては、他のところで経験を積むよりも強化指定部として最初から経験を積める育英大の方が自分の成長になるかなと思い進学、1万メートルのタイムを4分伸ばすことができたそうです。
「この後は陸上は続けない」との質問に対し、「はい。悔いはないです」と回答する新田選手、卒業後は、群馬トヨタで営業をしながら、休みの日は育英大のサポートをする予定、さらに、群馬トヨタは市民ランナーのマラソンに力を入れていて、そういったところのサポートや仕事を任させていて、そこをメインにやる予定だそうです。
最後に、「大学4年間を振り返ると」の質問に対し、「箱根駅伝は本当に雲のような存在だった。でも積み重ね、積み重ねてやっていくうちに、いつか目の前のものになって実際に今日、走ることができた。4年間充実した陸上生活だった。本当に人に恵まれていました。コーチや監督、チームのみんなに助けられた」と答えた新田選手。
日々の積み重ねこそが、大きな力となり、そうして努力を積み重ねている人には、きっと素敵な出会いが訪れると新田選手の見事な走りから、改めて強く感じた第99回箱根駅伝となりました。
きっと、こうした大学生の頑張りに、数々のドラマが続いていく箱根駅伝、来年第100回大会では、どんなドラマが待っているのか、今から楽しみであると同時に、そこに向けてすでに切磋琢磨している大学生の皆さんに心からエールを送りたいと思います。
守小の皆さん、毎日の小さな努力のつみ重ねが、歴史をつくっていくんですね・・・。

1月3日

1月3日は、内村航平さんの誕生日だそうです。
内村航平は今までにオリンピック4大会(2008年北京、2012年ロンドン、2016年リオデジャネイロ、2020年東京)に出場し、個人総合2連覇を含む7つのメダル(金メダル3、銀メダル4)を獲得、また、世界体操競技選手権でも個人総合での世界最多の6連覇を含む21個のメダル(金メダル10、銀メダル6、銅メダル5)を獲得しているとともに国内大会ではNHK杯個人総合10連覇、全日本選手権個人総合でも10連覇を達成しているそうです。
大学に進学した内村航平さんは、1年生の頃には、学生日本一のタイトルを受賞し、翌2008年には、初のオリンピック出場である北京五輪にて、個人総合で銀メダルを獲得しました。
内村航平さんは、さらに実力を伸ばしていき、2012年、自身にとって2度目となるロンドン五輪に世界チャンピオンとして臨み、予選では9位と不調でしたが、決勝ではついに個人総合の金メダルを獲得、それを機に、日本国内外を問わず「キング」と呼ばれ始めました。
2016年8月、リオ五輪の個人総合に出場した内村航平さん、同大会では、終盤までウクライナのオルグ・ベルニャエフさんが差をつけて1位でした。
その差はなんと、最終種目の鉄棒を前に、0.901点という大きな差でしたが、いざ迎えた鉄棒演技は内村航平さんにとって得意種目、難しい技を決め、着地もぴったり、自身で「これで勝てないなら後悔はない」と感じたという演技で、それまでの大差をひっくり返し、たった0.099点差での大逆転を果たしました。

そんな内村航平さんには、以下の数々の名言があります。
・世界で一番練習した者が世界一になる。
・怖いというのが今は勝ってしまっているけれど、やっていかないと世界で勝負はできない
・100%成功させなくても恐怖心を一つ超える何かを得られればいい
・僕は天才ではなく努力でここまでこれたと思っています。人一倍努力しているという自負はあります
・やっぱり着地なんですよね。誰が見ても終わりってわかるじゃないですか。そこで止めた瞬間、ワーっと盛り上がる。自分も周りも。着地一つで一体感が生まれる、感動が生まれる。有終の美って一番そこ。
・自分の中の本当に追いつけないぐらいの理想を持って、それに一歩でも近づけるように、自分の中で努力するという感じです
・まだ限界じゃない。どこまでいけるか分からないけど、自分の限界に挑戦したい
世界のトップであり続けた内村航平さんの言葉に、いい意味での「こだわり」を持ち、努力し挑戦し続けることによって、自分自身の限界を超え、自分の理想に到達することができるのだと改めて感じた1月3日となりました。
守小の皆さんは、内村航平さんのどの言葉に心を揺さぶられましたか・・・。

1月2日

1月2日は「初夢の日」だそうです。
現代では元日から2日までの3日間で見る夢を「初夢」といいますが、江戸時代前期は12月31日〜1月1日は眠らない風習があったため、新年初めて寝る1月2日に設定されたと伝えられているそうです。

さて、「初夢」で一年の良し悪しを占った昔は、よい夢を見るために枕の下に宝船の絵を敷いて寝る人も多く、商人が絵を売り歩いたといいます。
そんな初夢で見ると縁起がいいものとして「一富士、二鷹、三茄子」がよく知られています。

そもそも一富士二鷹三茄子とは、いったい何のことを指すのでしょうか。
これらは初夢に見ると縁起がいいとされているもので、一番目に富士山、二番目に鷹、三番目に茄子を見るととても縁起がいいとされているそうです。
富士山は「不死」、鷹は「高い」、茄子は「成す」という意味をさすとされているとのこと。

では、この「一富士二鷹三茄子」は、どのような由来で縁起物とされるようになったのか、由来には諸説あり、大きく分けて二つの説があるそうです。
一つ目は現在の静岡県中央部にあたる駿河国にある価値の高いものを並べたとされる説だそうです。 富士山、愛鷹山、初物の茄子の価格とされているそうです。
二つ目の説は徳川家康が好んだ物が富士山や鷹狩り初物の茄子であったという説だそうです。

また、初夢で見る縁起物としては一富士二鷹三茄子が一般的ですが、実はこの縁起物には続きがあるそうです。
縁起物は六番目まであり、 「四扇(しおうぎ)」「五煙草(ごたばこ)」「六座頭(ろくざとう)」とされているそうです。
扇というと暑い時に扇いで風を感じるためのものというイメージがあるかもしれませんが、その他に儀式や踊りを舞う際に使用する小道具としても古くから使われてきたそうです。
またタバコもおまつりやお祝い事などで人が集まる際には、なくてはならないもののひとつで、このため縁起物とされていたそうです。
「座頭」という言葉はあまり聞き慣れない言葉かもしれませんが、視覚障害者で剃髪して僧となった方を指し、「毛が無い」ことから「怪我無い」とされ、家内安全を願う象徴でもあったそうです。

守小の皆さんは、どんな初夢をみましたか・・・。

2023年 元日

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きれいな朝日の広がる2023年1月1日となりました。
写真1・2枚目は、「地平線から登る・・・」とはいきませんでしたが、守小の駐車場からの初日の出です。

さて、今年の干支は「卯」。
十二支では4番目、漢字の「卯」は、門を無理に押しあけて中に入りこむ様子を表した字で、「冒(おかす)」と同系の語だそうです。
中国の『漢書 律暦志』では、「おおう」を意味する「冒」で、草木が伸び出て地面を覆うようになった状態を表すと解釈されていて、中国伝来の十二支は、もともと植物が循環する様子を表しているので、十二支の4番目に、茎や葉が大きくなる様子を表す「卯」がくるのだそうです。
卯年は、芽を出した植物が成長していき茎や葉が大きくなる時期で、目に見えて大きく成長する年だといわれているそうです。
また、うさぎは跳びはねることから、飛躍するという象徴になるそうです。
守小の子供たちにとって、さらに飛躍の1年となりますように・・・。

本年もどうぞよろしくお願いいたします。
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