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中山 雅史 選手

9月23日は、元サッカー日本代表で「ゴン」の愛称で多くの人に親しまれている中山 雅史 さんの誕生日だそうです。

中山さんは、静岡県藤枝市出身で、ポジションはフォワード。
日本代表として1998 FIFAワールドカップ、2002 FIFAワールドカップにも出場し、Jリーグ(J1)最優秀選手賞を1度受賞、得点王2回、ベストイレブン4度受賞した経歴の持ち主です。

そんな中山さんが以下の言葉を語っているそうです。
「自分では一試合一試合、ワンプレーワンプレーを精一杯やっていくだけです。」
「『神様お願い』という前に、やれることはやり尽くしてピッチに立ちます。」
自分の目標・目的に向かって、その瞬間瞬間、自分のできることを精一杯やり続けることの大切さを中山さんから改めて学ぶことができる素敵な言葉だと思いました。

そして、「暗くやっても楽しくないですし、同じ時間を練習するんだったら、気持ちを高めてやるほうが自分を成長させてくれる。」とも語っている中山さん。
やるからには楽しんで!まさに、中山さんのプレー、そして、生き方を象徴した言葉だと思いました。

守小の皆さん、自分の目標に向かって、楽しんで!

5年生 稲刈り・自然観察

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9月22日(木曜日)守小の5年生は、市内の同地方面に、稲刈りと自然観察に行きました。

「いばらき森林クラブ 守谷フィールド」の方々に、稲刈りの仕方や「守谷の秋の自然」についてレクチャーを受ける子供たち。

目を輝かせてレクチャーを受ける子供たちの姿がとても印象的でした。

学校ではできない「学び」が、たくさんあった今日の5年生。

そんな素敵な学びを提供してくださった「いばらき森林クラブ 守谷フィールド」の皆様方、本当にありがとうございました。

4年生 音楽 とんび

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4年生の音楽の学習風景です。

「旋律の音の上がり下がりを感じ取り、強さを工夫しながら歌おう」を学習のめあてに展開されています。

「とんび」が飛んでいる様子を思い浮かべたり、旋律の音の上がり下がりを感じ取ったりして、強さを工夫しながら歌う子供たちの姿が印象的でした。

「音を楽しむ」5年生、今日も学びいっぱいです!

3年生 理科 ヒマワリの観察

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3年生の理科の学習風景です。

3年生で育てているヒマワリの観察をしています。

夏が終わり、秋を迎え、枯れ始めたヒマワリの観察を行う3年生。

子供たちのつぶやきに、たくさんの素敵な気付きをたくさん聞くことができた一コマでした!

2年生 生活 虫の観察

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2年生の生活の学習風景です。

第2グラウンドに行って見付けた虫の写真データを使って、大きさや形、色、触った感じなどをまとめています。

1人1台端末を使うことにより、自分の気付きをデータ化する2年生。

素敵な気付きがいっぱいの2年生です!

1年生 国語 サラダでげんき

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1年生の国語の学習風景です。

「りっちゃんは、どうしてサラダをつくることにしたのかな」を学習のめあてに展開されています。

叙述を基に、主人公であるりっちゃんが、どうしてサラダをつくることになったのか、考える子供たちの姿が印象的でした。

これから、山場を迎えていく「サラダでげんき」がとっても楽しみです!

5年生 理科 流れる水のはたらきと変化

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5年生の教科専科による理科の学習風景です。

同じ地点から写した3枚の写真から川の様子のちがいについて気付いたことをまとめています。

子供たちは、数々の気付きをし、その気付きをすくい上げ、本時のねらいに迫っていく教科専科の授業構成に専門性と高い「授業力」を感じました。

こうして、教科専科の先生と一緒に学べる守小の5年生は、本当に幸せだと、改めて感じた一コマでした。

これからどんどん深まっていく「流れる水のはたらきと変化」の学習がとても楽しみです!

4年生 書写 土地

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4年生の書写の授業風景です。

集中して筆を動かす4年生。

「土地」の二文字を、左右の部分の組み立て方を意識しながら書いています。

一人一人、自分らしさあふれる「土地」の時を書き上げることができました!

3年生 算数 暗算に挑戦

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3年生の算数の学習風景です。

本時の学習のめあては「自分のやりやすい方法で暗算をやってみよう」です。

教科書に載っている問題を、自分にあったやり方の暗算のでチャレンジする3年生。

それぞれにあったやり方を見付けようとする子供たちの姿が印象的でした。

今日も学びいっぱいの3年生です!

2年生 音楽 リズムうち

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2年生の音楽の学習風景です。

2拍子を感じながら、「この空とぼう」の曲にあわせてリズムうちを行っています。

曲の終わりでは、リズムを工夫してうつ子供たちの姿も・・・。

拍に乗って、リズムを重ねて楽しむ2年生の姿が印象的でした。

「音を楽しむ」守小の2年生です!

1年生 算数 3つの数のひき算

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1年生の算数の学習風景です。

「9−1−3」の3つの数のひき算に挑戦しています。

この立式が成り立つかどうか、この式の計算をどのように行うか、集中して先生と一緒に学ぶ1年生の姿が印象的でした。

やる気いっぱい、学びいっぱいの1年生です!

5年生 算数 ならす

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5年生の算数の学習風景です。

ならした量を求める方法を考えています。

まずは「自力解決」学習問題に対して、自分の力で解決を図ります。

その後に、みんなの考えを共有し、より良い方法を探究していきます。

これから始まる「平均」の学習が楽しみな5年生です!

4年生 社会 再利用

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4年生の社会の学習風景です。

「資源物や粗大ごみは、どのように再利用されているのでしょうか。」を学習のめあてに展開されています。

びん・缶・ペットボトルがどのように再利用されているのか、常総環境センターでの見学で学んだことを活かして、確認する子供たち。
ペットボトルが,洋服に再利用されていることに、目を丸くする子供たちの姿が印象的でした。

また、粗大ごみも再利用されていることを学ぶ中で、リサイクルショップに目を向ける4年生のセンスの良さが輝いた一コマでした。

3年生 保健 体を清潔にすることはなぜ必要

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3年生の保健の学習風景です。

体を清潔にすることはなぜ必要なのかについて学習しています。

自分の生活と照らし合わせて、深く考える子供たちの姿が印象的でした。

また、学校から家に帰って、手を洗わずにおやつを食べようとする友達に、本時の学習を活かしてアドバイスを送る3年生。

今日も学びいっぱいです!

2年生 生活 町たんけん発表

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2年生の生活の学習風景です。

自分で関心を持った地域の事を調べ、1人1台端末を活用してまとめた2年生。

本時は、そのまとめた内容を発表しています。

ICT機器を活用することにより、簡単に自分の調べた内容を、電子黒板に映し出すことができています。

今日もやる気いっぱい、学びいっぱいの2年生です!

1年生 ビシッとタイム

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1年生の朝の教室の風景です。

ビシッとタイムが始まる前から「よい準備」をする子供たち。

そして、ビシッとタイムの放送がなるやいなや、更に空気感が変わった1年生の教室に驚きを隠せませんでした。

入学して5ヶ月を過ぎた1年生の成長に、心が大きく動かされた一コマでした。

9月20日の朝

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9月20日(火曜日)台風14号の影響で、2時間遅れの登校となりました。

そんな朝、元気よく登校する守小の子供たちの様子です。

子供たちの姿をみると、一人一人に無限の可能性があり、その可能性を最大限に伸ばせるようにしたいと改めて感じた朝となりました!

保護者の皆様方には、2時間遅れの対応に、多大なるご理解・ご協力をいただきましたこと心より感謝申し上げます。

子規忌

9月19日は「子規忌」、俳諧人や歌人として活躍した 正岡子規 の忌日だそうです。
また、辞世の句に糸瓜(へちま)を詠んだことから「糸瓜忌」、獺祭書屋主人という別号を使っていたことから「獺祭忌(だっさいき)」とも呼ばれているそうです。

司馬遼太郎の「坂の上の雲」の主人公の1人でもある正岡子規は、慶応3年に現在の愛媛県松山市花園町に生まれ、明治35年9月19日に享年34歳で帰らぬ人となりました。

そんな正岡子規は、明治16年、上京。当時は政治家志望でありましたが、やがて文学者志望に転じたそうです。
明治25年、俳句論「獺祭書屋俳話」の連載を開始し、注目を浴びましたが、明治28年、日清戦争従軍後、帰国途中に喀血したそうです。
以後、永い病床生活に入るも、文学上の仕事は活発化し、翌29年には三千以上の俳句を残したそうです。

正岡子規は日本の近代文学において、俳句と和歌を刷新した人物だそうです。
これらの伝統文学は徳川時代末期にはマンネリズムに陥り、清新な気を失っていたのでありましたが、子規はそれを甦らせるとともに、新しい時代の文学形式としての可能性をも拡大したそうです。
彼の業績は弟子たちを通じて、今日の短詩型文学を根底において規定し続けているそうです。

正岡子規はまた随筆家としても類稀な才能を発揮したそうです。
晩年の三部作といわれる「墨汁一滴」、「仰臥満録」、「病床六尺」は、今日の読者をも魅了してやみません。
そんな子規は、20台のはじめに結核にかかり、それがもとで30歳を前にして病床生活を余儀なくされ、その生涯は病気との闘いだったそうです。

そんな正岡子規の生き方に、「生きるとは・・・」と考えさせられた9月19日でした。

インスタントラーメン

1971年の9月18日は、 日清食品が世界初のカップ麺「カップヌードル」を発売した日だそうです。

お湯を注ぎ、数分待つだけで食べられるインスタントラーメンです。
いまや世界中で愛されるこの食品を開発した元祖が、日清食品創業者の 安藤 百福 さんだそうです。NHK連続テレビ小説『まんぷく』のモデルともなりました。

「ミスターヌードル」と呼ばれた 安藤さん、彼が1958年に発明したインスタントラーメンは、いまや「世界食」となりました。
また、安藤さんが創業した日清食品も大企業へと成長しました。

しかし、安藤さんの生涯は決して順風満帆なものではなかったそうです。
若くから実業家として活躍しましたが、一度は全財産を失っているし、世界初のインスタントラーメン「チキンラーメン」発売時には、すでに48歳を迎えていたそうです。

そんな安藤さんは、こんな言葉を残しているそうです。
「人生に遅すぎることはない。この発明にたどりつくために、私には48年の歳月が必要だった」
発明の突破口となったのは、安藤さんの妻である仁子夫人が台所で揚げていた「天ぷら」だったそうです。
水分をはじき出しながらカラッと揚がる様子を見て、「油熱」による乾燥法がひらめいたといいます。
1958年8月、安藤さんは「チキンラーメン」を発売、麺に鶏ガラや香辛料を煮詰めたスープを染み込ませ、お湯を注ぐだけで食べられます。
当時は「魔法のラーメン」と呼ばれ、瞬く間に爆発的な人気を集めました。
仁子夫人は、安藤さんから「ラーメンの仕事をやるぞ」と最初に言われた時、「どうせやるなら日本一のラーメン屋さんになってください」と激励したといいます。
それに応えるかのように、日清食品は創業からわずか5年で年商43億円の企業に成長したました。

そして、そのチキンラーメン発売から13年後の1971年、安藤さんは61歳にして、再び世界を驚かす新商品「カップヌードル」を発明しました。
「袋麺からカップ麺へ—。」は、小さな変化に思えますが、これによって日本生まれのインスタントヌードルは、国境を超えた広がりをみせることになります。
ヒントを得たのは、66年の米国市場視察の時だそうです。
チキンラーメンを現地のバイヤーに売り込んだものの、近くにどんぶりや箸がないため、すぐに食べることができませんでした。
すると、スーパーの仕入れ担当者たちは麺を2つに割って紙コップに入れ、お湯を注いでフォークで食べ始めたそうです。
これを目の当たりにした安藤さんは、「食習慣の壁を越えることが世界進出のカギになる」と直感し、再びさまざまな知恵を結集し、5年間の試行錯誤の末、使い捨てカップ入りのカップヌードルを世に出したそうです。

ところが今回は、発売後に新たな壁が待ち受けていました。
袋麺より価格が高いことが敬遠され、売り上げはいまひとつだったそうです。
しかし、粘り強く営業を続ける中、翌年にチャンスが訪れました。

きっかけは、日本中がテレビの前にくぎ付けとなった「あさま山荘事件」、弁当も凍りつく極寒の地で過激派が人質をとって立てこもる中、警察機動隊員の食事としてカップヌードルが活躍したそうです。
湯気を立てた麺をおいしそうにすする隊員たちの姿が繰り返しテレビに映り、人気に火がついたとのこと。

そんなカップヌードルが大ヒットすると、各国のメーカーが続々と参入し、「インスタントラーメン」という新ジャンルが世界中で確立しました。
安藤さんは「業界内の競争と切磋琢磨があってこそ企業が成長する」と考え、特許を独占することなく、広く使用許諾を与えたそうです。
これが巨大な市場を生む要因となり、結果として日清食品自体の成長にもつながったそうです。

成功を収めても、その探究心は晩年まで尽きることはなかった安藤さん。
2001年、安藤さんは91歳にして「宇宙食ラーメン」の開発を宣言し、自ら陣頭指揮を取り、スープにとろみをつけ無重力状態でも飛び散らないようにするなど工夫を重ねた新製品「スペース・ラム」は、05年7月に野口聡一さんが搭乗するスペースシャトルに搭載されたそうです。

2007年1月5日、安藤さんは帰らぬ人となりました。
96歳。日清食品の初出式で「年頭所感」を発表した翌日のことだったそうです。
ニュースは世界を駆け巡り、米紙ニューヨークタイムズは「ミスターヌードルに感謝」と題する社説を掲載したそうです。

生涯を閉じる瞬間まで現役を貫いた安藤さん、本社の会長室の裏には調理場があり、常に商品開発に励んでいたという逸話も残っています。
数多くの名言も残しましたが、最も知られているのは伝記のタイトルにもなったこの言葉かもしれません。

「転んでもただでは起きるな。そこらへんの土でもつかんで来い」

自らが逆境を乗り越えてきたからこそ、この泥臭く、厳しく、温かい言葉は、人々の胸を打ちます。
そして、新しい挑戦を続ける人々にも確かな勇気を与えてくれる素敵な言葉のひとつです・・・。

プロゴルファーの名言

9月17日は、プロゴルファー石川 遼 選手の誕生日だそうです。

石川 遼 選手と言えば、2007年日本ツアー「マンシングウェアオープンKSBカップ」を制し、15歳と245日の史上最年少優勝記録を樹立。
また、「ハニカミ王子」旋風は社会現象にもなり、現役高校生プロとして2009年に日本ツアー最年少となる18歳で賞金王となりました。

そんな、石川 遼 選手が、以下の言葉を語っているそうです。
「自分が上手くなれば、結果も自ずと付いてくるはず。」
「結果が出ている選手は勢いだけでなくて、技術の裏付けがある。」

まさに、自分のやるべきことを理解し、努力を怠らないことの大切さを語ってくれているのではないいでしょうか。

さらに、「謙虚な姿勢であれば、物事の正解は1つではなく無限にあるということに、いつか気付きます」という言葉も語っています。
「謙虚に」という気持ちを忘れずに、自分のやれること、できることを精一杯続ける・・・。
こうすることによって、未来は光り輝くのだと、石川 遼 選手から教わった9月17日となりました。
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