チーム守中コラム〜怒り

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 歳を重ねる毎に、自分の「怒り」の感情に向き合うことが多くなり、違和感がトリガーとなって感情的になることは、決してよくないことであるという、ストッパー的な考えが強くなってきました。元来短気な私には、いい傾向かも知れないと思っています。

 先日、新聞の相談コーナーに、歳を取ってから怒りっぽくなっている自分が嫌だという悩みを目にしました。哲学者である回答者の方は、防衛本能から来るものであるが、その怒りをいちいち表に出すのは、人間関係を壊し、自身も嫌な思いをしてしまうでしょうと書かれていました。そして、古代ローマの哲学者セネカの言葉、「人間は、相互の助け合いのために生まれた。怒りは破壊のために生まれた」を引用していました。「破壊」という言葉を目にし、はっとしました。確かに「怒り」の感情は、自他を傷付けるものだと改めて思いました。

 セネカに興味をもち、幾つかの文献を調べてみました。彼は、ローマ帝国の政治家、哲学者、詩人で、「怒り」については、二つの治療的目的があり、一つは、予防的観点として怒ること自体をなくすこと、もう一つは、怒っている状態で過ちを起こさないという抑制的観点でまとめていました。なるほどと頷きながら調べていましたが、この「怒り」に対する気構えは、私だけではなく、多くの人が哲学的に向き合っているのだなあと思考が膨らみました。

 先日も左側から急に飛び出してきた車があって、カッとなり、鬼の形相(自分では見ていませんが)になってしまった自分。それでも以前よりは寛容になりつつあれど、やはり衝突してしまうかも知れない恐怖が直結した怒りは、なかなか消え去ることはできません。まさに防衛本能から来るものです。人間には、理性がある、そう、しっかりと考え、様々なものをしなやかに受け止めないといけないなぁと、思考が完結しました。まだまだ「怒り」との戦いは続くかも知れませんが、いつも「柔らかい心」をもっていたいと思います。
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