チーム守中コラム〜先人から思うこと

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 今年も数々のドラマ、感動が生まれた箱根駅伝。解説を担当していたのは、日本陸上連盟マラソン強化・戦略プロジェクトリーダーである瀬古利彦さん。軽妙で面白いトークが印象的な瀬古さんですが、我々の年代からすると、日本マラソン界の第一人者という印象が強いです。解説を聞いていて、昔を思い出しながら、ふっと「マラソン」というワードに関して哲学思考に入りました。

 私が「マラソン」と聞いて、思い浮かべる選手は、瀬古利彦選手、宗茂、宗猛兄弟選手、中山竹通選手といった、80年代に活躍した選手の皆さん。当時は、2時間8分台の記録に、日本中が湧いていました。この方々のしのぎを削る戦いは、鮮明に覚えています。瀬古選手のコンパクトな走り、宗兄弟の苦しそうに顔を傾ける走り、中山選手の長身を生かしたダイナミックな走り…当時の先人の努力や功績は、今でも引き継がれていると思います。

 思いを巡らせていると、もう一人のマラソンランナーが浮かんできました。浮かんだ選手は、円谷幸吉選手です。円谷選手は58年前、東京オリンピック開催年1964年、当時毎日マラソンと言われていた、びわ湖毎日マラソンで、2時間18分20秒という記録で2位となり、マラソンのオリンピック日本代表となりました。私がまだ0歳の時でした。そして、彼は見事オリンピックで銅メダルに輝きました。

 私が円谷選手のことを詳しく知るようになったのは、それから15年以上経ってから、彼の生涯を書いた本を読んでからです。円谷選手の実直な性格、周囲の期待を背負った中での腰痛との戦い、急激な環境の変化、結婚を約束していた人との別れ・・・彼は自衛隊体育学校宿舎で自ら命を絶ってしまいます。私は、遺書に書かれた、彼の家族への愛がこもった文章を初めて見た時、涙が止まりませんでした。今でも時折思い出しては泣いてしまいます。そして、いかにスポーツが、人を惹き付け、感動させる偉大なものであっても、このような悲劇は繰り返して欲しくないと強く思います。現代の選手を取り巻く環境は、このような悲しいことに結び付くものではないと信じたいです。

 円谷幸吉という、偉大な先人。彼の死は、日本のスポーツ史に悲しい出来事として記され、彼の悲劇の後に、日本オリンピック委員会や一部競技統括団体において、オリンピック出場選手などのアスリートに対するメンタルサポート、メンタルヘルスケアが実施されるようになったそうです。先人が残した教訓は、絶対に受け継がれなければなりません。

 2回目の東京オリンピックが、一昨年にコロナ禍の中で行われ、多くの感動が世界を包みました。また、最近では、サッカーワールドカップでの日本代表の活躍が、多くの人に勇気を与えました。改めて、我々一人一人が「スポーツとは?」という大きなテーマで、哲学を深め、先人を思うことも大切だと思います。
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