チーム守中コラム 希望、努力

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 新春の名物である箱根駅伝。母校に出場してもらいたいところですが、残念ながら叶わず、何かしらゆかりのある大学に注目しながら、毎年テレビを観ながら応援しています。
 
 今年の箱根駅伝は、往路から強さを見せた駒澤大学が総合優勝を飾り、駅伝三冠を果たしました。独走の中で、選手はどのような思いで走っていたのか、また、それを追う他の大学、特に往路で出遅れた強豪青山学院の選手の皆さんは、どんな思いでゴールを目指して順位を上げていったか等を想像すると、とても感慨深くなり、哲学にふけってしまいました。
 
「絶対に優勝する!」「順位を○位以内にする」という希望・信念は選手全員がもっているはずです。希望からの「可能性」も、冷静な判断から考えているはずです。大舞台での素晴らしいパフォーマンスは、強固な精神修養から生まれているに違いありません。その修養の裏には、想像を超える努力が隠れていると思います。
 
 昔の、いわゆるスポ根の世界では、「自分を痛めつけろ」、「クタクタになるまで努力しろ」、という、努力=負荷、苦しみ=強い精神力というような図式があったように思います。しかしながら、本当の意味での努力や修養は、そのようなものでは無いと思います。
 
 本当の意味での努力や修養は、自分の信念を貫き、自分を見詰め、希望から可能性を見いだして実行に移すということだと思います。かと言って、優勝できなかった大学の選手やシード権を取れなかった大学の選手がそれをしていなかったという訳ではなく、当日のコンディション等が微妙に働く、それこそ「勝負の神様」ならぬ、人が知ることもできないものがあると思ってしまいます。私は、順位はともかく、懸命に走っている全選手に拍手を送りたいと思います。そして、努力とは、人に強いられて自分を痛めつけるのではなく、自分を客観的に見る力から生まれてくるという考えをさせてくれた箱根駅伝に感謝しています。
 
 やはり、自分を高め、伸ばしていくのは自分自身。希望を明確にし、自ら実行に移すことが大切なのだなぁと哲学の終着点にたどり着きました。少し前に、北海道日本ハムからメジャーリーグに移籍し、活躍しているダルビッシュ選手が語った言葉を思い出します。「いわゆるスポ根というものがないアメリカでも、優秀な選手がたくさんいる、本当に大切なのは、自己管理である」、といった感じの言葉です。
 
「努力」という言葉を、これからもじっくりと考えてみたいと思います。
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