チーム守中コラム〜平成3年

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 1階廊下に飾られている旧校舎の写真。ふと目に入り、しばし眺めてしまいました。私が転職して守谷中学校に新規採用で赴任したのは平成3年4月、まだ、旧校舎の頃です。バブル経済がはじける前でした。赴任した平成3年を思い返してみると・・・

 調べてみると、「湾岸戦争勃発」、「東京都庁新宿新庁舎開庁」、「雲仙普賢岳大火砕流発生」、「景気拡大、いざなぎ景気超える」等の記事がありましたが、私の目に留まったのは、「横綱千代の富士現役引退 通算1045勝」という見出しでした。

 私の幼き頃の大相撲界は、まさに北の湖と輪島の両横綱の時代。その時代には、柏市出身の麒麟児という力士もいて、応援していました。そして、その時代の次に出てきた大横綱の千代の富士は、力士にしてはスマートな身体ながら、筋肉隆々で、大きな相手を豪快に投げていました。

 彼が引退会見の時に、「体力の限界」と言った時に、私は心の中で「お疲れ様でした」と言いました。千代の富士関は、生来肩が外れやすい形状で、脱臼を防ぐために猛烈に筋肉を付けていたということを知っていたからです。「関節」というのは、スポーツマンにとってはとても大切なもの。私も野球と柔道をして右肩・右肘がボロボロになった時に、「頑丈な関節だったら」と嘆いたこともありました。怪我やハンデと上手に付き合うということも千代の富士関は多くの人に伝えたのではないかと思います。

 怪我と上手く付き合うといえば、昔教えていた柔道部の生徒にも、千代の富士関と同じように肩の形状が外れやすい生徒がいました。数回ですが、彼は練習中、「あっ!」と声を上げることがあり、どうしたのかと話し掛けると、「肩が外れました〜!」と。彼は心配して駆け寄る私に向かって、「大丈夫です。」と制止し、自分で「えい、やっ、」と肩を入れたのでした。「昔から外れやすいので・・・」と笑っていた彼は、3年生の時には内股を駆使するチームのポイントゲッターになっていました。

 旧校舎写真から平成3年、千代の富士関、そして怪我との向き合い方と思考が繋がっていきましたが、そんな繋がりを考えていたら、「思考・哲学とは、何をスタートにしても広がるものなのだなあ」と思ったりしました。「考えにふける初冬」とでも言うのでしょうか。
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