チーム守中コラム〜功績と栄光

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日の目を見ない偉人の物語は数多くあり,その人物の素晴らしい功績が,死後になって認められるという切ないケースもたくさんあります。理科の遺伝の単元で学習するメンデル。彼は学者ではなかったので,彼が地道に研究した遺伝の法則が認められたのは,死後しばらくしてからでした。日本人で有名なのが,鈴木梅太郎という人で,私(校長)はこの人の話を少年時代に知った時,社会の偏見,不平等感や寛容のなさに切なさを感じました。その話を紹介します。

 鈴木梅太郎氏は,東京大学で農業を学んだ農芸学者でした。明治時代,人々を苦しめていた病気に脚気というものがありました。脚気は,足のむくみや神経障害によって足のしびれを引き起こし,心不全を起こす場合もありました。鈴木氏は,米ぬかにふくまれている新しい栄養成分を取りだすことに成功しました。この成分は,脚気に効くと発表し,これを「オリザニン」と名付け,1910 年に発表したのです。このオリザニンこそ,今のビタミンと言われる物質の仲間で,ビタミンB1でした。脚気という病気は,ビタミンB1不足から起こる病気だったのです。しかしながら,学会で発表した鈴木氏は,参加者の医学者から,医学者でもない農芸学者が何を言うんだ!と,散々批判され,認められなかったそうです。ところが,翌年にポーランドの化学者・フンクが,同じ栄養成分を発見し,「ビタミン」と名付けて発表。こちらのほうが有名になってしまいました。後に同じ物質の研究でエイクマンという学者がノーベル賞を受賞しています。

 脚光を浴びなかった鈴木氏ですが,世界初のビタミン発見者としての業績は揺るぎないものなのです。歴史を紐解くと,このような切ないケースは多々あるようです。人生,タイミングや環境で様々な違いが生まれてしまうかもしれません。我々は,よりよい社会を創るためにも,人に対するねぎらい,認め合い,感謝,尊敬などを大切にすべきだなあと改めて感じてしまいます。
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