学校紹介

○学校の歴史○

明治6年(1873年)に第六大学区第二中学区第八番小学付属燕校として開学された、伝統ある小学校です。
校門は「赤門」と呼ばれ、燕東小学校のシンボルとなっています。
以前は1000人を超えていた児童数も、燕南小学校の開設や時代の流れにより、200人台に減っていますが、燕市の中心校として教育をリードするつもりで、教育活動に取り組んでいます。最近では「花いっぱい運動」や「地域に根ざす学校応援団事業(旧学校支援地域本部事業)」の充実により、地域の方々がより学校を身近に感じてくれるようになり、教育ボランティアとしてたくさんの方が来校してくれます。地域ぐるみで子どもを育てる雰囲気が醸成されてきたと手ごたえを感じています。

校舎と中庭

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○旧樋口家表門(赤門・市指定建造物)○

燕東小学校の赤門として市民に親しまれているこの門は、もともと「村上藩燕組大庄屋 樋口家」の表門として江戸時代末期に建てられました。大正時代に取り壊しの話が持ち上がりましたが、保存を望む市民の声を受けて、1919(大正8)年、燕尋常高等小学校(現在の燕東小学校)の敷地へと移築され、以来同校の校門として親しまれています。もともと木羽葺ぶき屋根だったものを 移築とともに銅板葺きに改修したことから、「赤門」と呼ばれるようになったといわれています。

赤門

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赤門の由来

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○児童数(R6年度)○
  1年 2年 3年 4年 5年 6年 合計
児童数 29 39 24 29 36 48 205
学級数 1 1 1